1935年

京都大水害。京都市内では前日からの集中豪雨のため鴨川が増水。二条大橋や五条大橋など多くの橋が流失するとともに市内の大部分が冠水した。

1935年6月29日、京都大水害が発生し、鴨川の氾濫で市内の多数の橋が流失しました。
前日からの集中豪雨により鴨川の水位が急上昇し、二条大橋や五条大橋など主要な橋梁が次々に流失しました。京都市中心部を含む広範囲が冠水し、住宅や店舗が浸水被害を受けました。被災者の生活インフラは大打撃を受け、復旧作業には数ヶ月を要しました。市街地の復興を機に堤防や排水設備の強化が図られ、近代的な治水対策が進展しました。
1935年 京都大水害 京都市 集中豪雨 鴨川 二条大橋 五条大橋
1938年

翌日にかけて関東地方で集中豪雨。東京都下では約15万戸が浸水するなどの被害。

1938年6月29日から関東地方で集中豪雨が続き、約15万戸が浸水被害を受けました。
関東地方全域で豪雨が断続的に降り、河川が氾濫して住宅地や農地を広範囲で浸水させました。東京都下では浸水した地域が多く、住民の避難や道路の寸断が深刻化しました。交通網の麻痺に伴い物資の供給が途絶え、復旧には数週間を要しました。気象記録上でも異常な豪雨とされ、都市の排水システム整備の必要性が浮き彫りになりました。
1938年 関東地方 集中豪雨
1956年

北海道釧路市で火災現場に向かう消防車が通行人17人をはねる事故。児童6人が即死、2人が重体、9人が重傷。

1956年6月29日、北海道釧路市で消防車が通行人17人をはねる痛ましい事故が発生しました。
出動中の消防車が火災現場に向かう途中、沿道を歩いていた通行人の列に衝突しました。この事故で6人の児童が即死し、2人が重体、9人が重傷を負う犠牲者が出ました。緊急車両の安全運転や沿道の警備体制の重要性が問われ、以後緊急走行時の規則や運転技術訓練が見直されました。地域社会には深い悲しみが広がり、犠牲者を悼む追悼碑が建立されました。
北海道 釧路市 消防車
1961年

北海道美唄市三菱美唄炭鉱でガス爆発事故が発生、一時、坑内に40人が取り残された。8人が死亡、11人が重軽傷。

1961年6月29日、北海道美唄市の三菱美唄炭鉱で発生したガス爆発事故。坑内に40人が取り残され、8名が死亡、11名が重軽傷を負いました。
三菱美唄炭鉱は石炭採掘中にメタンガスが引火し大規模な爆発を起こしました。爆発当時、坑内には約40名の作業員が閉じ込められたため救助活動が急がれました。最終的に8名が死亡し、11名が重軽傷を負う惨事となりました。事故後は安全対策の強化やガス検知技術の導入が進められました。地域社会にも深い衝撃を与え、鉱山労働の危険性が改めて認識される契機となりました。
1961年 三菱美唄炭鉱
1962年

北海道の十勝岳で水蒸気爆発。翌日未明に噴火が発生。硫黄鉱山作業員の死者・行方不明者5人、気象台の観測員2人を含む負傷者12名。

1962年6月29日、北海道十勝岳で発生した水蒸気爆発とその翌日未明の噴火により作業員や観測員らに死傷者が出た自然災害。
十勝岳は活発な火山活動を続ける北海道の火山群の一つであり、この日は地下の高温地熱水が地表に噴出して水蒸気爆発を引き起こしました。翌日未明には本格的な火山噴火が起こり、硫黄鉱山の作業員5名が死亡または行方不明となり、気象台の観測員2名を含む12名が負傷しました。噴火による噴煙や火山灰は周辺地域に広がり、交通や生活に大きな影響を及ぼしました。火山活動の予知と早期避難の必要性が改めて明らかになり、火山観測体制の強化が進められました。被害規模の大きさから十勝岳噴火の歴史的重要性が再認識されました。
1962年 北海道 十勝岳 水蒸気爆発 噴火 硫黄
1995年

韓国ソウルの三豊百貨店がほぼ全壊し、512人が死亡。

1995年6月29日、韓国ソウルの三豊百貨店が倒壊し512人が死亡した大惨事。
三豊百貨店は老朽化と違法増築が重なり構造的不備を抱えていましたが、6月29日に建物の一部が崩落しました。現場は即座に瓦礫の山と化し、救助活動には数百人の救急隊員が動員されました。最終的に512人の犠牲者が確認され、韓国史上最悪クラスの建築災害となりました。事件後は建築基準法の改正や違反業者への厳罰化が進められ、安全管理体制の見直しが行われました。
1995年 ソウル 三豊百貨店
1999年

広島県を中心とした中国地方を集中豪雨(6.29豪雨災害)が襲い、各地で起こった土砂崩れ等により36人が死亡。

1999年、中国地方を襲った集中豪雨により複数の土砂崩れが発生し、36人が亡くなった大災害です。
1999年6月29日、梅雨前線の停滞による集中豪雨が広島県を中心とした中国地方を襲い、多数の河川氾濫や土砂崩れが広範囲で発生しました。急激に増水した川の氾濫が住宅地を浸水させ、山間部では崖崩れや地滑りが相次いで発生しました。救助活動は難航し、自衛隊や消防などが懸命に人命救助にあたりましたが、結果的に36人が犠牲になりました。道路や鉄道も大きな被害を受け、地域の交通網は寸断されました。この災害は河川改修や防災対策の重要性を浮き彫りにし、その後の土砂災害対策強化につながりました。
1999年 広島県 中国地方 集中豪雨 6.29豪雨災害 土砂崩れ