1785年

ヨハン・ゲルハルト・ケーニヒ

(1728 - 1785)

医師、植物学者

医師 植物学者
ドイツ出身の医師・植物学者。インドで多数の植物標本を収集し、東洋植物学研究に貢献した。
1728年にドイツで生まれ、医学を学ぶ。 1757年頃にインドへ渡り、トランコーバーでデンマーク東インド会社の博物学者として活動。 熱帯植物の採集と分類に尽力し、多くの新種をヨーロッパに紹介。 著書『インド植物誌』などを通じて東洋の植物学知見を発信。 医師としての経験を生かし、植物の薬用価値研究も行う。 1785年に現地で没し、その業績は後の植物学研究に影響を与えた。
1785年 ヨハン・ゲルハルト・ケーニヒ 医師 植物学者 1728年
1793年

ギルバート・ホワイト

(1720 - 1793)

博物学者

博物学者
イギリスの博物学者。著作『セボーンの博物誌』で近代生態学の先駆者とされる。
1720年にイギリス・ハンプシャー州セボーンで生まれる。 オックスフォード大学で学ぶも、自然観察の魅力に惹かれて故郷に戻る。 1789年に『セボーンの博物誌』を刊行し、身近な生物観察の重要性を示す。 野鳥や昆虫、植物の季節変化を細やかに記録し、生態学的視点を提示。 従来の分類学的研究にとどまらず、環境の変化と生物の行動を結びつけた。 1793年に没後も、その手法は後世の自然科学者に影響を与え続けている。
1793年 ギルバート・ホワイト 博物学者 1720年
1919年

ミハイル・ツヴェット

(1872 - 1919)

植物学者

植物学者
ロシアの植物学者で、色素分析のためのクロマトグラフィー法を開発した先駆者です。
クロマトグラフィーの創始者として知られるミハイル・ツヴェットは、1872年にロシアで生まれました。 植物組織や色素の研究に関心を持ち、新しい分離技術の必要性を感じていました。 1903年に有機色素の分離実験中、固体吸着剤を用いる方法を考案し、後に「クロマトグラフィー」と名付けられました。 この手法は化学や生化学、食品検査など幅広い分野で革命的な分析技術となりました。 自らの研究を通じて、多くの学術論文を発表し、世界的な評価を受けました。 1919年6月26日に没し、その功績は今日でも科学界で語り継がれています。
1919年 ミハイル・ツヴェット 1872年
1931年

山川健次郎

(1854 - 1931)

物理学者、元東京帝国大学総長

物理学者 元東京帝国大学総長
日本の物理学者で、東京帝国大学の総長を務めた教育者としても知られています。
山川健次郎は1854年に生まれ、東京帝国大学で物理学の研究と教育に尽力しました。 欧米に留学し、最新の物理学理論を日本に紹介した功績があります。 帰国後は講師として後進の育成を行い、学術振興に大きく貢献しました。 1911年から1931年まで東京帝国大学の総長を務め、大学組織の改革を推進しました。 科学教育の普及や研究施設の充実に努め、日本の近代化に貢献しました。 1931年6月26日に没し、その功績は今日の大学教育に受け継がれています。
1931年 山川健次郎 東京帝国大学 1854年
1934年

内藤湖南

(1866 - 1934)

歴史家

歴史家
中国史を専門とした日本の歴史家で、学術界に多大な影響を与えました。
内藤湖南は1866年に生まれ、中国古典や歴史研究で高い評価を得ました。 若い頃から漢学を修め、清史の研究で独自の視点を打ち出しました。 中国思想の体系的理解を試み、日本における東アジア研究の先駆者となりました。 京都帝国大学で教鞭を執り、多くの門弟を育成しました。 学術団体の設立にも関わり、研究環境の整備に尽力しました。 1934年6月26日に没し、その業績は今も歴史学研究に影響を与えています。
1934年 内藤湖南 歴史家 1866年
1943年

カール・ラントシュタイナー

(1868 - 1943)

病理学者

病理学者
オーストリア出身の病理学者で、血液型の発見者としてノーベル賞を受賞しました。
カール・ラントシュタイナーは1868年にオーストリアで生まれました。 1901年にABO血液型を発見し、輸血医療の安全性を飛躍的に高めました。 その功績により1930年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。 後年はウィーンやニューヨークで病理学の研究と教育に従事しました。 血清学や免疫学の発展にも寄与し、多くの論文を発表しました。 1943年6月26日に没し、現代医学の基礎を築いた一人として称えられています。
1943年 カール・ラントシュタイナー 1868年
1990年

萩野昇

(1915 - 1990)

医師、イタイイタイ病命名者

医師 イタイイタイ病命名者
イタイイタイ病を命名し、公害病研究の先駆者となった日本の医師。
1915年に生まれた萩野昇は、富山県神通川流域で多発したイタイイタイ病の症例を調査し、名称を提唱した医学者です。 公害病としての認定に向けた研究を進め、環境と健康の関係を解明する上で重要な成果を挙げました。 厚生省などと協力し、被害者支援や予防対策にも尽力し、公衆衛生の発展に貢献しました。 1990年6月26日に75歳で逝去。その功績は環境医学の礎として高く評価されています。
1990年 萩野昇 イタイイタイ病 1915年
2006年

フレデリック・マイヤー

(1921 - 2006)

教育学者、哲学者

教育学者 哲学者
教育学と哲学の研究に貢献した学者。
1921年に生まれ、教育学と哲学の研究に従事しました。 大学や研究機関で教鞭を執り、多くの学生を指導。 教育方法論や哲学的思考に関する著作を発表しました。 学際的視点から教育理論の発展に寄与しました。 2006年6月26日に逝去しました。
フレデリック・マイヤー 教育学者 哲学者 1921年
2011年

高木勝

(1945 - 2011)

経済学者、経済評論家

経済学者 経済評論家
経済理論の研究と評論で知られる経済学者。
1945年に生まれ、経済学を専攻。 大学教授として教育に尽力し、多くの研究成果を発表。 マクロ経済学を中心に、政策提言や分析で注目を集めた。 新聞・テレビでの経済解説でも人気を博す。 著書を通じて一般向けの経済理解を深める貢献も行った。 2011年に66歳で逝去。
2011年 高木勝 経済学者 経済評論家 1945年
2014年

相見志郎

(1918 - 2014)

経済学者、同志社大学名誉教授

経済学者 同志社大学名誉教授
同志社大学名誉教授として経済学の研究と教育に貢献した。
1918年に生まれ、同志社大学で長年教授として教鞭を執り、経済政策や地域経済の研究に尽力した。戦後復興期から高度成長期にかけて、産業政策の分析や国際経済論を発表し、多くの論文や著書を残した。学生の指導にも熱心で、多数の研究者を育成した。2014年6月26日に96歳で逝去し、経済学界における重鎮として知られた。
2014年 相見志郎 同志社大学 1918年
2015年

岡本茂樹

(1958 - 2015)

臨床心理学者

臨床心理学者
日本の臨床心理学者として心理アセスメントや治療技法の研究に従事した。
1958年に生まれ、日本の臨床心理学者として精神保健福祉の現場で心理アセスメントや治療技法の研究に従事した。大学や病院での臨床経験をもとに、ストレスマネジメントや発達障害の支援方法に関する論文を発表。臨床実践と研究を結び付ける取り組みを推進し、多くの実践家に影響を与えた。2015年6月26日に57歳で逝去した。
2015年 岡本茂樹 1958年
2018年

辰巳渚

(1965 - 2018)

文筆家、考現学者

文筆家 考現学者
考現学の視点で現代文化を分析した文筆家。
1965年に生まれ、日常生活の観察を基にした『考現学』の分野で知られる文筆家・研究者。広告や商品パッケージ、都市景観など身近な文化現象を独創的な視点で分析し、多数の著作やコラムを発表。メディア出演も多数こなし、幅広いジャンルで活躍した。2018年6月26日に53歳で亡くなった。
2018年 辰巳渚 文筆家 考現学 1965年