1929年
長崎県の松島炭鉱の坑道が水没(鉱区は海底下に広がっていた)。42人死亡。
1929年に長崎県松島炭鉱で坑道が海水により水没し、多数の犠牲者が出ました。
1929年6月25日、長崎県の松島炭鉱で海底下に広がっていた坑道が突然水没し、作業中の坑夫42人が犠牲となりました。
松島炭鉱は海に隣接し、坑道が海底と連絡していたため、海水の浸入が大惨事を引き起こしました。
事故発生時の救出活動は困難を極め、一部の作業員は救助が間に合わず命を落としました。
この事故を契機に鉱山の安全対策強化が求められ、水害防止のための技術導入や監督体制の整備が進められました。
また、労働者の安全衛生に対する社会的関心が高まり、鉱業法改正や安全基準の見直しが行われました。
松島炭鉱事故は日本の産業事故史における重大事件の一つとして記憶されています。
1929年
長崎県
松島炭鉱
1953年
昭和28年西日本水害。九州地方北部を中心に6月29日まで集中豪雨になり、死者758名を出す。
北部九州を中心に集中豪雨が発生し、西日本一帯で甚大な被害をもたらしました。
1953年6月25日から29日にかけて、北部九州を中心に集中豪雨が発生した。
山間部を中心に河川が氾濫し、多数の家屋流失や土砂崩れが各地で相次いだ。
公式発表では死者758名、負傷者多数という戦後最大級の水害となった。
救援活動や復旧工事の遅れから被災者支援の課題が露呈し、水防対策の強化が求められた。
この災害を契機に河川改修やダム建設などの大規模治水事業が進められた。
1953年
昭和28年西日本水害
九州地方
6月29日
集中豪雨
1953年
岡山県新加茂町倉見の加茂小学校分校で開かれた映画会で、上映中のフィルムが発火。木造藁葺の校舎が全焼して死者14人、重軽傷者23人。
岡山県の小学校で上映中の映写フィルムが発火し、校舎全焼・多数の死傷者を出しました。
1953年6月25日、岡山県新加茂町倉見の加茂小学校分校で映画会が開かれた。
上映中の映写フィルムが発火し、木造藁葺き校舎は瞬く間に全焼した。
火災により児童と教職員合わせて14名が死亡、23名が重軽傷を負った。
当時のナイトレート・セルロイドフィルムは極めて可燃性が高く、安全管理の脆弱さが露呈した。
この事故は学校施設での映写機使用における防火対策強化の契機となった。
岡山県
新加茂町
倉見
1961年
熱帯低気圧が近づき梅雨前線が活発化、集中豪雨になり7月10日までに死者302人・行方不明者55人を出す。
1961年6月25日からの梅雨前線活発化により、西日本を中心に記録的な集中豪雨が発生しました。
1961年6月25日頃、熱帯低気圧の接近で梅雨前線が活発化しました。
西日本を中心に連日の猛烈な集中豪雨が発生し、7月10日まで続きました。
この期間で302人の死者、55人の行方不明者を出す大災害となりました。
住宅の浸水や河川の氾濫が相次ぎ、農作物やインフラにも大きな被害が及びました。
この災害を契機に、以後の防災対策や河川改修の重要性が強く認識されるようになりました。
1961年
熱帯低気圧
梅雨前線
集中豪雨
7月10日
2017年
パキスタン、パンジャーブ州バハーワルプルでタンクローリーが横転し、漏れ出た石油を求めて多くの人が殺到した中で引火し爆発。200人以上が死亡。(2017年バハワルプル爆発)
2017年6月25日、パキスタン・バハーワルプルで横転したタンクローリーが爆発し、200人以上が死亡しました。
2017年6月25日、パキスタン東部パンジャーブ州バハーワルプル付近でタンクローリーが横転しました。
漏れ出した石油を求めて集まった群衆に引火し、大規模な爆発が発生しました。
爆風と火災により200人以上が死亡し、多数が重軽傷を負う惨事となりました。
地元当局は事故現場で救助活動を行いましたが、炎が激しく近づくことが困難でした。
調査では車両の老朽化や消火設備不足、群衆の不安全な行動が被害拡大の要因とされます。
この災害は石油輸送の安全管理と緊急時の群衆コントロールの課題を浮き彫りにしました。
2017年
パキスタン
パンジャーブ州
バハーワルプル
石油
2017年バハワルプル爆発