1910年

パリ・オペラ座でストラヴィンスキーのバレエ『火の鳥』が初演。

ストラヴィンスキーのバレエ『火の鳥』がパリ・オペラ座で初演されました。
1910年6月25日、セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスにより、イゴール・ストラヴィンスキー作曲のバレエ『火の鳥』がパリ・オペラ座で初演されました。 振付はバレエ・リュスの中心舞踊家ヴァーツラフ・ニジンスキーが担当し、舞台美術はレオン・バクストが手がけました。 本作はロシア民話を題材に、独創的なリズムとオーケストレーションが高く評価され、前衛芸術の到来を告げました。 『火の鳥』の成功はストラヴィンスキーの名声を不動のものとし、20世紀音楽史における重要な作品として位置づけられています。 その後も多くの改訂版が生まれ、今日まで世界中で上演され続けています。
1910年 オペラ座 ストラヴィンスキー 火の鳥
1920年

松竹蒲田撮影所が開所。

1920年に松竹の蒲田撮影所が開所し、日本映画の発展に寄与しました。
1920年6月25日、映画製作会社松竹が蒲田に撮影所を開設しました。 蒲田撮影所は当時最新の撮影技術を導入し、多くの作品を量産したことで知られます。 サイレント映画からトーキーへの移行期に活躍し、国産映画産業の基盤構築に大きく貢献しました。 また、映画監督三枝源次郎や牧野省三などの人材育成の場ともなり、後の日本映画黄金期を支えました。 撮影所は多様なジャンルの作品を生み出し、国内外に松竹ブランドを確立しました。 現在の松竹の歴史を語る上で、蒲田撮影所の存在は欠かせません。
1920年 松竹蒲田撮影所
1934年

築地本願寺が竣工。

1934年に築地本願寺が竣工し、独自の建築様式が注目されました。
1934年6月25日、東京・築地に新本堂として築地本願寺が竣工しました。 設計は建築家伊東忠太が手掛け、仏教寺院でありながらインド様式やロマネスクなど多様な建築要素を融合させた斬新なデザインが特徴です。 外観の円柱や複雑な装飾は伝統的な和様建築とは一線を画し、国内外の建築家からも高い評価を受けました。 本堂は木造ながら耐火建築技術が取り入れられ、長期的な保存と安全性にも配慮されています。 築地本願寺は戦後復興期の文化財として大切にされ、現在も多くの参拝者や観光客を魅了し続けています。
1934年 築地本願寺
1947年

『アンネの日記』が出版される。

アンネ・フランクの日記が初めて出版され、世界中で多くの読者の心を揺さぶりました。
1947年6月25日、オランダ語版『Het Achterhuis』(アンネの日記)が出版された。 著者アンネ・フランクはユダヤ人の少女で、ナチス・ドイツ占領下のアムステルダムで隠れ家生活を綴った。 日記は第二次大戦中のユダヤ人迫害を生々しく描き、戦後のホロコースト文学を代表する作品となった。 父親オットー・フランクが編集を担当し、その後多言語に翻訳され世界的ベストセラーとなった。 今日も教育現場や平和啓発の教材として広く活用され、若者へのメッセージを伝え続けている。
1947年 アンネの日記
1967年

UTC18時55分から21時ごろにかけて、世界初の衛星中継テレビ番組『われらの世界』が放送される(日本では6月26日朝3:55から6時ごろ)。

1967年6月25日、世界初の衛星中継テレビ番組『われらの世界』が放送されました。
1967年6月25日18時55分(UTC)から21時頃にかけて、『われらの世界(Our World)』が全世界に向けて衛星中継されました。 この番組は各国が文化や生活を紹介する国際的なテレビイベントで、映像をリアルタイムで相互交換する初の試みでした。 日本では翌26日3時55分から放送され、NHKなどを通じて多くの視聴者が視聴しました。 当時使用された通信衛星INTELSAT II F-2は大西洋を経由し、欧米やアジアを結びました。 この技術は後の衛星通信やライブ中継の基礎を築き、国際的な情報共有の道を開きました。
1967年 UTC われらの世界 6月26日
1978年

サザンオールスターズが『勝手にシンドバッド』でデビュー。

1978年6月25日、サザンオールスターズがシングル『勝手にシンドバッド』でデビューしました。
1978年6月25日、桑田佳祐を中心に結成されたバンド・サザンオールスターズがシングル『勝手にシンドバッド』でレコードデビューしました。 発売直後から軽快なリズムと独特の歌詞が評判を呼び、オリコンチャートで上位にランクインしました。 彼らのデビュー曲はミリオンセラーを達成し、日本のロック・ポップスシーンに大きな影響を与えました。 その後も独自のサウンドとパフォーマンスで人気を博し、現在に至るまで長いキャリアを誇ります。 サザンオールスターズはデビュー当時の斬新な音楽性で多くのファンを魅了し、現在でも日本音楽界の巨星とされています。
1978年 サザンオールスターズ 勝手にシンドバッド