延暦21年5月19日
富士山噴火で陥没した足柄路の代わりに筥荷路(箱根路)が開通。
延暦21年の富士山噴火により足柄路が通行不能となり、東海道の代替ルートとして箱根路が開通した。
802年(延暦21年)5月19日の富士山の噴火に伴い、従来の足柄路が土砂の崩落で通行不能となった。
これを受けて朝廷は東海道の代替路として、箱根集落を経由する筥荷路(後の箱根路)を整備し、往来を確保した。
箱根路の開通は平安初期の交通ネットワーク維持に重要な役割を果たし、後に東海道の主要ルートの一つとなった。
この出来事は富士山噴火が社会基盤に与えた影響を示す史料としても知られる。
当時の官道整備の事例として、平安時代の交通政策を考える上で重要視されている。
802年
延暦
5月19日
富士山
足柄路
箱根路
1960年
日本航空が東京国際空港(羽田空港) 福岡空港(板付空港)間に深夜割引便ムーンライト号の運航開始。
日本航空が東京と福岡を結ぶ深夜割引便“ムーンライト号”の運航を開始しました。
旅行需要の低い時間帯を活用した割引航空便の先駆けです。
1960年6月22日、日本航空が東京国際空港(羽田)と福岡空港(板付)間で深夜割引便“ムーンライト号”の運航を始めました。
当時の航空運賃は高額であったため、深夜帯を利用した割引便は画期的な試みでした。
この便は夜行便ながら低価格を実現し、ビジネス客や若者を中心に利用が拡大。
航空会社による時間帯別運賃の多様化が進む契機となりました。
その後、夜行航空便は“ムーンライト”という愛称で親しまれ、航空サービスの新たなスタイルを確立しました。
1960年
日本航空
東京国際空港
福岡空港
深夜割引便
1966年
千葉県三里塚地区での新東京国際空港(現・成田国際空港)建設案が初めて公にされる(成田空港問題)。
成田新空港建設案が初めて公表され、反対運動の端緒となりました。
後の“成田空港問題”の始まりです。
1966年6月22日、政府は千葉県三里塚地区を新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設予定地として正式に公表。
この発表は地元住民や農民をはじめとする激しい反対運動を巻き起こすきっかけとなりました。
反対派は土地収用に抗議し、翌年以降の“成田空港問題”へ発展。
警察と抗議者との衝突や国と地元との対立が長期化し、日本の新空港建設史に深い爪痕を残しました。
最終的に空港は開港したものの、計画から完成までの混乱は日本の公共事業における課題を浮き彫りにしました。
1966年
千葉県
成田国際空港
成田空港問題
1984年
ヴァージン・アトランティック航空の運航が開始される。
1984年6月22日、リチャード・ブランソン率いるヴァージン・アトランティック航空が運航を開始しました。
1984年、イギリスの実業家リチャード・ブランソンがヴァージン・アトランティック航空を設立。
6月22日に最初の営業運航をロンドンからニューヨークへ就航させ、航空業界に新たな競争をもたらしました。
革新的なサービスや機内エンターテインメント、顧客中心の経営方針で知られ、既存大手航空会社に挑戦しました。
ブランソンのブランド戦略が功を奏し、のちにグローバルな航空アライアンスへの参画へとつながります。
航空業界のマーケティング手法やサービス品質の向上に影響を与えた出来事です。
1984年
ヴァージン・アトランティック航空
2000年
デルタ航空、アエロメヒコ航空、エールフランス、大韓航空により、スカイチームが設立。
2000年6月22日、デルタ航空、アエロメヒコ航空、エールフランス、大韓航空により航空連合「スカイチーム」が設立されました。
スカイチームは乗客への利便性向上を目的とした航空会社間の提携ネットワークです。
設立時メンバー4社が相互にコードシェアやマイレージ提携を開始し、グローバルな路線網を構築。
スターアライアンスに次ぐ規模で、のちに多数の航空会社が加盟し世界中に広がります。
共同運航や空港ラウンジの共有など、顧客サービスの向上に大きく貢献しました。
航空業界のアライアンス戦略における重要なモデルとして注目されています。
2000年
デルタ航空
アエロメヒコ航空
エールフランス
大韓航空
スカイチーム
2008年
東急目黒線武蔵小杉駅 日吉駅間が延伸開業。
2008年6月22日、東急目黒線の武蔵小杉駅~日吉駅間が延伸開業しました。
東急目黒線は東京都心と神奈川県横浜市を結ぶ通勤路線です。
2008年6月22日に武蔵小杉駅から日吉駅間の延伸が完了し、路線全長が延長。
沿線の利便性向上と相互直通運転の実現により、乗り換え時間の短縮と輸送力増強を実現。
武蔵小杉は再開発地区として注目を浴び、通勤・通学需要の拡大を後押ししました。
地域活性化と都市交通ネットワークの強化に寄与したインフラ整備です。
2008年
東急目黒線
武蔵小杉駅
日吉駅
2015年
閉鎖されたナトゥ・ラ峠の通行が可能となる。
2015年6月22日、かつて戦略的に閉鎖されていたインド・中国国境のナトゥ・ラ峠が通行再開されました。
ヒマラヤを越えるルートが国際貿易や交流に利用されるようになりました。
ナトゥ・ラ峠はインド北東部シッキム州とチベット自治区を結ぶ標高約4300mの山岳路です。
1962年の中印紛争以降、峠は長期間閉鎖されていました。
2006年に限定的な通商路として開放された後、さらなる整備が進められました。
2015年6月22日の再開により、商用車や観光バスの通行が正式に認められました。
両国間の地域経済活性化や文化交流の促進が期待されています。
峠周辺では道路改修やインフラ整備も進み、安全性が向上しました。
2015年