1892年

鉄道敷設法公布。

1892年6月21日、国産鉄道網拡大の基礎を築く鉄道敷設法が公布された。 政府による民間資本活用型の鉄道敷設方針を定めた重要法令。
明治25年に公布されたこの法律は、国策として鉄道敷設を促進するための枠組みを示しました。 政府は鉄道建設の基本方針を設定し、私鉄会社による路線建設を奨励しました。 路線網の構想や距離、補助金制度、用地買収の手続きなどが詳細に規定されていました。 これにより全国各地で鉄道敷設計画が加速し、地方経済の発展と交通網整備に大きく寄与しました。 鉄道敷設法は後の鉄道国有化や大規模路線拡張の礎となり、日本の近代化を後押ししました。 同法の制定は民間資本と政府連携による社会資本整備のモデルケースと評価されています。 その後の日本の物流・旅客交通の発展に欠かせない基盤を築きました。
1892年 鉄道敷設法
1895年

キール運河が運用開始。

キール運河(バルト海と北海を結ぶ人工運河)が開通し、運用を開始しました。 欧州の海上交通に新たなルートを提供しました。
ドイツ北部のキールで建設された運河は、1872年に着工し1895年に完成しました。 運河は全長約98km、幅100m以上を誇り、大型船の通航が可能です。 バルト海と北海を結ぶことで、デンマーク海峡を迂回する必要がなくなり航行時間を大幅に短縮しました。 1887年にドイツ帝国議会で建設が承認され、オットー・フォン・ビスマルクの主導で事業が進められました。 軍事的・経済的に重要なルートとされ、第一次世界大戦や第二次世界大戦でも戦略的価値を持ちました。 現在でも国際海運の要衝であり、欧州連合内外の貿易に貢献しています。 周辺地域の観光地化も進み、観光船の運航や散策路としても親しまれています。
1895年 キール運河
1934年

東京地下鉄道・銀座 新橋(現在の東京メトロ銀座線)が延伸開業し、東京地下鉄道線が全線開通。

東京地下鉄道(現・銀座線)が銀座駅から新橋駅まで延伸し、全線が開通しました。
1934年6月21日、東京地下鉄道の銀座〜新橋間が延伸開業し、同線の全長が完成しました。 銀座線は日本初の地下鉄路線として1927年に上野〜浅草間で部分開通して以来、段階的に建設が進められてきました。 延伸区間は銀座の商業地帯を貫き、趣向を凝らした駅デザインも話題となりました。 全通により新橋まで直通が可能となり、東京中心部の交通網が大きく強化されました。 日中は多くの乗客で賑わい、戦前の都市化を支える重要なインフラとなりました。 現在は東京メトロ銀座線として運営され、文化財的価値も評価されています。
1934年 東京地下鉄道 銀座 新橋 東京メトロ銀座線
1957年

近畿日本鉄道が初の冷房特急の運転開始。

1957年6月21日、近鉄が日本初の冷房装備特急列車の運転を開始しました。
近畿日本鉄道は当日、名古屋駅~大阪難波駅間を結ぶ特急列車に冷房装置を搭載して運行を開始しました。当時、蒸し暑い夏場の車内環境は旅客の大きな懸念事項であり、冷房特急の導入は画期的なサービス向上と受け止められました。車内温度が快適になることで利用者数が増加し、他の鉄道事業者も冷房化を急ぐきっかけとなりました。近鉄はその後、全特急車両への冷房搭載を進め、国内鉄道の快適性向上に大きく貢献しました。
1957年 近畿日本鉄道
1968年

東京・都営地下鉄1号線(現在の浅草線)、大門駅 泉岳寺駅間が開業する。同時に京急本線の泉岳寺駅 品川駅間も開業し、京成電鉄も含めた3社相互直通運転を開始。

1968年6月21日、都営地下鉄1号線(現・浅草線)の大門~泉岳寺間と京急本線の泉岳寺~品川間が開業し、3社相互直通運転が始まりました。
東京都交通局が建設した都営地下鉄1号線は、当日大門駅から泉岳寺駅までが開業しました。これに合わせて京浜急行電鉄の泉岳寺駅~品川駅区間も運行を開始し、さらに京成電鉄も含む3社相互直通運転が実現しました。利用者は都心と羽田方面を乗り換えなしで移動できるようになり、通勤・通学の利便性が大幅に向上しました。浅草線は都市間を結ぶ重要路線として発展し、その後の都内交通網整備の先駆けとなりました。今日まで続く乗り入れ運転の基礎がこの日に築かれました。
1968年 浅草線 大門駅 泉岳寺駅 京急本線 品川駅 京成電鉄 相互直通運転
2008年

フィリピンで大型フェリー「プリンセス・オブ・ザ・スターズ」が沈没。死者800人以上。

フィリピンで大型フェリー「プリンセス・オブ・ザ・スターズ」が沈没しました。
2008年6月21日、フィリピンのミンダナオ島近海を航行していた大型フェリー「プリンセス・オブ・ザ・スターズ」が嵐に巻き込まれ沈没しました。 乗客・乗員合わせて800人以上が犠牲となり、史上最悪級の海難事故の一つとされます。 艦内の安全管理体制や緊急時の対応が厳しく問われ、海上輸送の安全基準見直しが急務となりました。 事故後、船会社の責任追及や犠牲者支援が行われ、教訓を活かした法整備が進められました。 この惨事はフィリピン国内外で強い衝撃を与えました。
2008年 フィリピン フェリー プリンセス・オブ・ザ・スターズ