1870年

天津教案: 中国天津で、民衆がフランス領事館や教会を襲撃し、フランス人宣教師、修道女、外国人居民など合わせて21名が殺害された。

1870年6月21日に中国天津で発生した反外国人暴動で、フランス領事館や教会が襲撃され多くの外国人が殺害された。
清朝末期の天津で、キリスト教宣教師や外国人への反感が爆発した事件です。 地元民衆はフランス領事館と教会を襲い、宗教活動の自由を妨害していたとの抗議を理由に暴行を加えました。 襲撃によりフランス人宣教師、修道女、商人など21名が死亡し、数十名が重傷を負いました。 この事件は列強の勢力争いと治外法権問題を背景に、清朝政府の外交的対応を大きく試すことになりました。 フランス政府は事件解決と賠償を要求し、清仏関係悪化の引き金となりました。 最終的に清朝は賠償金支払いと教会保護の強化を約束し、騒動の沈静化を図りました。 この事件は対外政策と国内治安維持の難しさを浮き彫りにする歴史的事件です。
1870年 天津教案 中国 天津 フランス 領事館 教会
1908年

グレートブリテンで、女性の参政権を認めさせるため、25万人以上の市民がデモ活動を実施。

イギリスで25万人以上が参加し、女性参政権を求める大規模デモが行われました。
1908年6月21日、ロンドンで行われた大規模なデモは女性参政権運動(サフラジェット)の一環として実施されました。 当時、男性のみが投票権を持つ選挙制度に対し、計25万人以上の市民が参加して不満を表明しました。 運動の中心は中産階級の女性たちが結成した全国婦人参政権協会(NUWSS)で、平和的な示威行動を重視しました。 一方、もっと過激な方法を支持した女性社会政治同盟(WSPU)も存在し、運動は多様な戦術を伴いました。 このデモは議会に大きな圧力をかけ、その後の参政権拡大に向けた議論を加速させる契機となりました。 最終的に1928年には30歳以上の全女性に選挙権が認められ、男女同権が達成されました。
1908年 グレートブリテン デモ活動
1964年

ミシシッピ州公民権活動家殺害事件:ミシシッピ州フィラデルフィア近郊で地元警察と白人至上主義者が結託し、公民権活動家3人が殺害される。

1964年6月21日、ミシシッピ州フィラデルフィア近郊で3人の公民権活動家が殺害されました。
この事件は『ミシシッピ州公民権活動家殺害事件』として知られ、ジェームズ・チェイニー、アンドリュー・グッドマン、マイケル・シュワーナーの3名が白人至上主義者と共謀した地元警察官に誘拐・殺害されました。被害者は公民権運動支援のため南部を巡回中で、真実究明のためFBIが介入しました。事件の衝撃は全米に広がり、公民権法制定への世論を大きく後押ししました。その後、関係者数名が起訴・有罪判決を受け、米国の司法制度における人種差別問題が浮き彫りとなりました。公民権運動の象徴的事件として現在も語り継がれています。
1964年 ミシシッピ州公民権活動家殺害事件 英語版 ミシシッピ州 フィラデルフィア 白人至上主義 公民権活動
1988年

ミャンマーの首都ヤンゴンで、反政府学生数千人によるデモ隊が警官隊と衝突。

1988年、ミャンマー・ヤンゴンで反政府学生デモが警官隊と衝突し、民主化運動の高まりを示す。
1988年6月21日、ミャンマー(当時ビルマ)の首都ヤンゴンで数千人の学生が反政府デモを展開した。 デモ隊は政治改革と民主化を求め、警官隊との衝突に発展して多数の負傷者が出た。 この事件は翌月の大規模抗議「8888人民蜂起」への序章となり、国内外に大きな衝撃を与えた。 軍政は厳しい鎮圧を実施し、多くの学生らが逮捕・処罰された。 以降の国際的な人権問題や制裁のきっかけともなり、ミャンマー民主化運動の転換点となった。
1988年 ミャンマー ヤンゴン
2000年

イギリスの同性愛を禁止する法律「セクション28」がスコットランドで廃止。

スコットランドで同性愛禁止法「セクション28」が廃止されました。
1988年に導入された「セクション28」は、地方自治体による同性愛擁護の禁止を規定していました。 2000年6月21日、スコットランド議会はこの法律の廃止を決定し、同性カップルの権利擁護が前進しました。 廃止はイギリス国内のLGBTQ+コミュニティから歓迎され、平等権の拡大に寄与しました。 イングランドとウェールズではさらに2年後に廃止され、英国全域での法的差別撤廃への流れが加速しました。 この出来事はLGBTQ+人権運動の重要なマイルストーンとされています。
2000年 セクション28 英語版 スコットランド