1894年

明治東京地震。

1894年、東京湾を震源とする明治東京地震が発生し、市街地に被害をもたらしました。
1894年6月20日午後6時頃、東京湾北部を震源とするマグニチュード6.6程度の地震が発生しました。 強い揺れは東京市街地を中心に感じられ、多数の家屋が損壊しました。 一部地域では火災も発生し、数十名の死傷者が報告されました。 明治時代の主要都市で起きた大規模地震として記録され、都市防災の重要性を示しました。 この後、政府は耐震建築や消防体制の強化に着手しました。
1894年 明治東京地震
1940年

東京府下で落雷が相次いだ。大手町では落雷により逓信省航空局新館から出火。大蔵省など10官庁が焼失する大火となった。

1940年6月20日、東京大手町で落雷による火災が発生し、多数の官庁庁舎が焼失しました。
この日、東京府下では急激な雷雨に伴う落雷が相次ぎました。 大手町の逓信省航空局新館に落雷が直撃し出火。 火は隣接する大蔵省などに延焼し、政府の主要10官庁庁舎が焼失しました。 復旧には長期間を要し、戦時下の行政運営にも大きな影響を及ぼしました。 その後、防雷対策の強化や建築基準の見直しが進められました。
1940年 落雷 大手町 逓信省 大蔵省
1949年

鹿児島県鹿児島市にデラ台風が上陸。死者行方不明者468人。

1949年6月20日、デラ台風が鹿児島市に上陸し、多大な被害をもたらしました。
1949年6月に発生したデラ台風は強い勢力を維持したまま鹿児島市付近に上陸。 暴風雨による建物倒壊や河川氾濫が相次ぎ、死者・行方不明者は468人に達しました。 農作物や家屋への被害も甚大で、復興には長い時間を要しました。 台風の教訓を受け、気象観測網の整備や防災対策が強化されました。 鹿児島県では毎年、犠牲者を追悼する行事が行われています。
1949年 鹿児島県 鹿児島市 デラ台風