1933年

丹那トンネルが貫通。

1933年、伊豆と駿河を結ぶ丹那トンネルの掘削が貫通しました。
丹那トンネルは全長約7855mの鉄道トンネルで、沼津と熱海を結んでいます。 難易度の高い火山性地盤を掘削するため、最新の技術と大規模な人員が投入されました。 貫通式は地元関係者や技術者を集めて祝われ、後に東海道本線の速度向上と物流改善に貢献しました。 掘削には2,000人余の作業員が動員されました。 翌年の正式開通以降、地域交流を活性化させました。
丹那トンネル
1954年

名古屋テレビ塔が竣工。

1954年6月19日、名古屋テレビ塔が竣工し、開業した。
1954年6月19日、名古屋市の中心部に位置するテレビ塔が竣工しました。 高さ180メートルを超える塔は東洋初の鉄骨構造を用いたテレビ塔として注目を集めました。 テレビ放送の電波塔としての役割だけでなく、展望台やレストランを備えた観光名所となりました。 開業当時、多くの市民や観光客が訪れ、名古屋の新しいシンボルとして親しまれました。 設計は建築家内井昭蔵によるもので、安全性と景観を両立させる構造が評価されました。 現在でも名古屋のランドマークとして市街地の景観に彩りを添えています。
1954年 名古屋テレビ塔
1964年

初の日米間太平洋横断海底ケーブルTPC 1が開通。

1964年6月19日、初の日米間太平洋横断海底ケーブルTPC-1が開通しました。
1964年6月19日、日本とアメリカ合衆国を結ぶ初の太平洋横断海底ケーブル「TPC-1」が正式に使用開始。 総延長およそ14100kmの長大ケーブルは、高品質の電話通信やデータ伝送を可能にしました。 当時の技術としては世界最長級であり、国際通信の信頼性と速度を大幅に向上させました。 通信インフラの進化はグローバルビジネスや学術交流を促進し、国際関係にも影響を与えました。 現在のインターネット通信の基盤ともいえる歴史的重要プロジェクトです。
1964年 太平洋 海底ケーブル
1970年

下関 韓国・釜山の関釜フェリーが運航開始。

下関港と釜山港を結ぶ定期旅客フェリー「関釜フェリー」が運航を開始し、国際海上交通に新たなルートが誕生しました。両都市の交流や物流を大きく促進した出来事です。
1970年6月19日、下関港(山口県)と釜山港(韓国)を結ぶフェリー航路「関釜フェリー」が定期運航を開始しました。 両都市を結ぶ最短海上ルートとして、観光客やビジネス利用者に利用されるようになりました。 この航路の開設により、日韓間の交流が飛躍的に活性化し、経済面でも大きな影響を与えました。 初便から安定した運航が続き、両国の物流にも貢献しました。 その後も国際フェリー航路として発展し、現在の海運ネットワークの基礎を築きました。
下関 釜山 関釜フェリー
2005年

脱線事故で4月25日以来不通となっていた福知山線(JR宝塚線)尼崎駅 宝塚駅間が運転再開。

福知山線(JR宝塚線)の尼崎~宝塚間で運転が再開された日。
2005年4月25日の脱線事故により運休していたJR福知山線(JR宝塚線)の尼崎駅~宝塚駅間が、6月19日に運転を再開しました。事故後の復旧工事では線路交換や信号設備の点検が行われ、安全確認が徹底されました。運転再開に際しては臨時ダイヤや速度制限が導入され、利用者への安全措置が図られました。地域住民や通勤客にとっては輸送手段の早期復旧が歓迎され、事故後の不安解消につながりました。その後も更なる安全対策が進められ、鉄道会社は再発防止策を強化しました。
2005年 脱線事故 4月25日 福知山線 尼崎駅 宝塚駅