1865年
奴隷解放宣言の2年後、アメリカ合衆国で最も遅くテキサス州ガルベストンの奴隷に自身が自由になったことが知らされる(1866年以降現在までにテキサス州ほか36州でジューンティーンスとして祝われ、2021年6月17日には正式な祝日となった)。
1865年6月19日、テキサス州ガルベストンの奴隷たちに解放が知らされ、事実上全米で奴隷制度が廃止されました。後に「ジューンティーンス」として祝われるようになりました。
南北戦争終結後の1865年6月19日、北軍将軍ゴードン・グレンジャーがガルベストンに到着し、『奴隷解放宣言』をテキサス州全土で実行する旨を伝えました。この知らせにより、約2万5000人の黒人奴隷が自由を実感しました。以降、毎年6月19日は『ジューンティーンス(Juneteenth)』として解放の日を祝う伝統行事となりました。20世紀には祝賀パレードや家族の集い、教育や文化イベントも開催されるようになりました。2021年6月17日、ジューンティーンスはアメリカ合衆国の連邦祝日に正式に制定されました。
1865年
奴隷解放宣言
アメリカ合衆国
テキサス州
ガルベストン
奴隷
ジューンティーンス
2021年
6月17日
1890年
北十津川村廃村。
1890年6月19日、奈良県の北十津川村が廃村となりました。
1890年
北十津川村
1910年
ワシントン州スポケーンで初の父の日が祝われる。
1910年、アメリカ・ワシントン州スポケーンで初めて父の日が祝われました。
ワシントン州スポケーンで6月19日に開かれたこの祝いは、娘ソノラ・スマート・ドッドが南北戦争の退役軍人であった父親への感謝を示すために提唱したものです。
当初は地域的な行事でしたが、徐々に全国に広がり、1972年にはアメリカ合衆国の国民の祝日として公式に制定されました。
正式制定は1972年6月17日で、以降は毎年6月第3日曜日に祝われています。
父親の役割や家族への貢献を称える日として、現在では世界各地で祝われています。
日本を含む多くの国でも同様の祝日が導入されています。
1910年
ワシントン州
スポケーン
父の日
1948年
衆議院で「教育勅語等排除に関する決議」が、参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」がそれぞれ可決。
1948年6月19日、衆議院と参議院で教育勅語の排除・失効確認の決議が可決された。
戦後の教育改革の一環として、1948年6月19日に衆議院は『教育勅語等排除に関する決議』を可決しました。
同日、参議院でも『教育勅語等の失効確認に関する決議』が承認されました。
教育勅語は明治時代から帝国教育の根幹とされていましたが、戦後民主主義の観点から問題視されました。
これらの決議により、国家主義的教育方針からの脱却が進められました。
教育現場では新たな学習指導要領の策定や教科書検定制度の改革が本格化しました。
この動きは戦後日本の教育制度の民主化と平和主義の定着に大きく寄与しました。
衆議院
教育勅語
参議院
1954年
琉球政府計画移民第一陣269人がボリビアへ出発。
1954年6月19日、琉球政府計画移民の第一陣269人がボリビアへ向けて出発した。
戦後の沖縄復興支援策の一環として、琉球政府は農業移民を計画しました。
1954年6月19日、第一陣269人の移民がボリビアへ向けて船出し、新天地での生活を開始しました。
移民希望者は主に農業技術を持つ若年層で、現地での農園開発や技術指導が期待されました。
ボリビア政府も移民受け入れを歓迎し、受け入れ条件や支援体制を整備しました。
沖縄からの移民は現地文化と触れ合いながら農業生産に貢献し、両国交流の先駆けとなりました。
この移民計画はその後も数回実施され、沖縄の海外移住史の重要な一章を形成しました。
1988年
ローマ法王のヨハネ・パウロ2世が117名のベトナム殉教者(Vietnamese Martyrs)を列聖。
教皇ヨハネ・パウロ2世が117名のベトナム殉教者を列聖し、信仰の模範として世界中の信徒に感動を与えました。
1988年6月19日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はバチカンで117名のベトナム殉教者を列聖しました。
これらの殉教者は18世紀から19世紀にかけて宗教迫害下で信仰を守り通したことで知られています。
列聖はカトリック教会における正式な認定儀式であり、殉教者たちの信仰と勇気が世界的に称えられました。
当日は多くの信徒や聖職者が集まり、バチカンの聖ペトロ大聖堂で祝典ミサが行われました。
この儀式はベトナム国外のカトリック共同体にも大きな影響を与え、宗教間対話の進展にも寄与しました。
1988年
ローマ法王
ヨハネ・パウロ2世
Vietnamese Martyrs
2009年
石首事件(Shishou incident)が勃発。
中国湖北省石首市で2009年に起きた市民と警察の衝突事件です。
地方政府の情報操作への不満が背景にあります。
2009年6月19日、中国湖北省石首市で抗議が暴動に発展した事件。
地元住民が交通事故で死亡した女性の遺体を巡り、警察の対応に疑念を抱いたことが発端となりました。
数千名の住民が市街地で抗議デモを行い、警官隊と衝突が発生。
放水や催涙弾が使用され、一部で商店や車両の損壊が起きました。
当局は治安維持を理由に情報規制を行い、詳しい犠牲者数は公表されませんでした。
この事件は地方政府への市民の不信感と情報統制の問題を浮き彫りにしました。
2009年
Shishou incident
2018年
アントワン・ローズ2世(Antwon Rose II)がイースト・ピッツバーグで車上荒らしに遭い、同地の警察のマイケル・ロスフェルド(Michael Rosfeld)巡査に撃たれて死亡。
ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外で警察官による発砲で17歳のアントワン・ローズ2世が死亡し、警察対応が社会問題化しました。
2018年6月19日、17歳のアントワン・ローズ2世がペンシルベニア州イースト・ピッツバーグで警察官に射殺されました。
事件はローズが逃走中に警察官が発砲したことで発生し、警察の過剰防衛の是非が問われました。
遺族や市民による抗議デモが行われ、全国的に警察の暴力に対する関心が高まりました。
担当のマイケル・ロスフェルド巡査は後に不起訴となり、司法判断を巡る議論も続きました。
この事件は米国内の人種差別問題や警察改革の必要性を改めて浮き彫りにしました。
Antwon Rose II