1980年

釧路湿原が日本で初めてラムサール条約の登録湿地になる。

釧路湿原が日本初のラムサール条約登録湿地となり、国際的な湿地保全の先駆けとなった日。
1980年6月17日、北海道の釧路湿原が国際湿地保全条約(ラムサール条約)の登録湿地第1号として正式認定。 広大な湿原は希少な野生動植物の生息地であり、国際的な重要性が高く評価されました。 登録により湿地の保全活動や研究、観光振興が推進され、地域の環境教育拠点としても注目を集めました。 その後の国内外の湿地保全のモデルケースとなり、多くの湿地が順次登録を果たしました。 現在も釧路湿原は観光地として人気を博するとともに、環境保全の象徴的存在です。
1980年 釧路湿原 ラムサール条約
1987年

ハマヒメドリの亜種Dusky Seaside Sparrowの最後の個体が死亡し絶滅。

ハマヒメドリの亜種Dusky Seaside Sparrowは、1987年6月17日に最後の個体が死亡し、絶滅しました。
ハマヒメドリの亜種Dusky Seaside Sparrowは、アメリカ東部フロリダ州の湿地に生息していました。 しかし、湿地の埋め立てや環境汚染により生息地が急速に減少しました。 保全活動や繁殖プログラムも行われましたが、個体数の回復には至りませんでした。 1987年6月17日に飼育下の最後の雄個体が死亡し、種は完全に絶滅したと宣言されました。 この絶滅は人為的な環境破壊がもたらした悲劇的な例として知られています。 現在も絶滅防止の重要性を訴える象徴的な事例となっています。
1987年 ハマヒメドリ Dusky Seaside Sparrow 絶滅
1994年

国連砂漠化対処条約がパリにて採択される。

国連砂漠化対処条約がパリで採択され、砂漠化防止のための国際的枠組みが整備されました。
国連砂漠化対処条約(UNCCD)は、砂漠化の防止と土地劣化の抑制を目的として採択されました。 1994年6月17日、パリでの採択会議にて191カ国以上の国が合意しました。 背景には1992年の地球サミット(リオ会議)での持続可能な開発への議論がありました。 条約は特にサハラ以南アフリカ地域の土地管理支援を重視しています。 締約国は行動計画を策定し、国際協力による技術援助や資金提供が行われています。 砂漠化対策の国際法的枠組みとして、今日まで重要な役割を担っています。
1994年 国連砂漠化対処条約 パリ