1896年

明治三陸地震(M8)が発生。大津波により甚大な被害。死者22,000 27,000人。日本最大の津波被害。

1896年6月15日に発生した明治三陸地震は、巨大な津波を伴い広範囲に甚大な被害をもたらしました。
1896年6月15日未明、マグニチュード8.2と推定される明治三陸地震が三陸沖を震源に発生しました。 巨大な津波は高さ20メートル以上に達し、沿岸部の漁村や集落を襲いました。 特に岩手県と宮城県で甚大な被害が発生し、建物の流失や漁船の沈没が相次ぎました。 死者・行方不明者は約2万2千人から2万7千人に上るとされ、日本史上最悪の津波災害とされています。 この惨事は後の防災対策や津波研究に大きな教訓を残しました。 当時の救援体制の課題や復興の難しさも浮き彫りになりました。
1896年 明治三陸地震 M 津波
1899年

福岡県の豊国炭鉱でガス爆発事故が発生。死者210名。

1899年6月15日、福岡県の豊国炭鉱で発生したガス爆発事故により多数の犠牲者が出ました。
1899年6月15日午後、福岡県田川郡にあった豊国炭鉱の坑内でメタンガスが爆発を起こしました。 突然の爆発は坑道内部を一瞬にして壊滅状態にし、多くの労働者が巻き込まれました。 死者は210名に達し、当時の採炭技術や安全管理の脆弱さが露呈しました。 労働環境の過酷さが改めて問題視され、その後の炭鉱安全基準の見直しや改善につながりました。 地元社会や家族に深い悲しみを残し、鉱業史における痛ましい事故として語り継がれています。
1899年 福岡県
1904年

ニューヨークの遊覧船ジェネラル・スローカムがイースト川で火災。1,031人が死亡。

1904年6月15日、ニューヨークの遊覧船ジェネラル・スローカム号火災で1,031人が犠牲になりました。
1904年6月15日、ニューヨーク市イースト川で遊覧船ジェネラル・スローカム号が火災を起こしました。 当日はリトルイタリー地域の教会旅行者を乗せており、急激に広がる火勢に乗客は逃げ遅れました。 消火設備や救命ボートの不備も重なり、多くの乗客が川に転落し溺死しました。 最終的な死者数は1,031人と記録され、アメリカ史上最悪の内陸水難事故の一つとなりました。 この事故を契機に船舶の安全基準や防火対策が大幅に強化されました。
ニューヨーク ジェネラル・スローカム イースト川
1911年

喜界島地震発生、12名が犠牲となる。

1911年6月15日、鹿児島県喜界島を襲った地震により12名が犠牲となりました。
1911年6月15日、鹿児島県の喜界島近海を震源とする地震が発生しました。 島内では家屋の倒壊や崖崩れが相次ぎ、住民の生活に深刻な打撃を与えました。 当時の建築技術や防災体制が未整備であったため、12名の死者が出ました。 地震後は復興支援が行われ、住民の生活再建が急がれました。 小規模ながら地方の地震災害として記録に残り、防災意識の向上に繋がりました。
喜界島地震