天正15年5月8日

九州征伐: 島津義久が豊臣秀吉に降伏。

豊臣秀吉の九州征伐で島津氏が降伏し、大名勢力が再編される。
1587年、豊臣秀吉が主導した九州征伐において、島津義久は天正15年5月8日に降伏しました。この降伏により島津氏の領地は大幅に削減され、秀吉による全国統一の流れが一層加速しました。戦国時代末期の重要な転換点として、豊臣政権の権威が確立される契機となりました。
1587年 天正 5月8日 九州征伐 島津義久 豊臣秀吉
1863年

南北戦争: 第二次ウィンチェスターの戦いが始まる。

南北戦争の重要戦闘、第二次ウィンチェスターの戦いが開始。
1863年6月13日、南北戦争中の第二次ウィンチェスターの戦いがバージニア州ウィンチェスター周辺で始まりました。南軍のリード将軍率いる部隊が北軍を包囲し、北軍守備隊は激しい防戦を強いられました。ゲティスバーグ会戦の前哨戦として戦局に影響を与えた戦いです。
1863年 南北戦争 第二次ウィンチェスターの戦い
1917年

第一次世界大戦: ドイツ軍航空隊ゴータ G.IV爆撃機によるロンドン空襲で、小学生18名を含む162名が死亡し、432名が負傷した。

German Gotha G.IV bombers attack London, causing heavy civilian casualties.
On June 13, 1917, during World War I, German Gotha G.IV bombers launched a devastating raid on London under cover of darkness. The attack killed 162 people, including 18 elementary school children, and injured 432 others. This was one of the first large-scale strategic bombing raids targeting civilians, aiming to break British morale. The raid prompted the British government to intensify air defenses, implement blackouts, and deploy anti-aircraft guns across the city. Public outrage grew over civilian vulnerability, leading to changes in military tactics and the eventual establishment of more comprehensive air raid warning systems.
1917年 第一次世界大戦 ドイツ軍 ゴータ G.IV ロンドン空襲
1940年

第二次世界大戦: パリが非武装都市を宣言(翌日、ドイツ軍が無血入城)。

1940年6月13日、第二次世界大戦中のパリは市街戦を避けるため非武装都市を宣言しました。翌日、ドイツ軍が無血入城を果たし、都市の破壊を免れました。
ナチス・ドイツの進撃が続く中、フランス首都パリは6月13日に非武装都市宣言を行いました。市街戦による甚大な被害回避を狙い、砲撃や抵抗を放棄することを決定したのです。この措置は歴史的・文化的遺産を守るとともに市民の生命を最優先に考えたものです。しかし翌日の6月14日、ドイツ軍は無血でパリへ進駐し、占領を開始しました。その結果、パリは戦火を免れ、多くの美術品や建築物が保存されることになりました。非武装都市宣言は戦争の中で希少な平和の一幕として後世に語り継がれています。
非武装都市を宣言
1944年

第二次世界大戦: ヴィレル・ボカージュの戦い。

1944年6月13日、ノルマンディー上陸作戦後に生起したヴィレル・ボカージュの戦いが始まりました。
第二次世界大戦で連合軍がノルマンディーへ上陸した直後、ドイツ軍はヴィレル・ボカージュ地域でゲリラ戦術を展開しました。連合軍は丘陵地帯での頑強な防衛線を突破しようと試み、激しい戦闘が続きました。狭い道路や森に潜むドイツ軍により、装甲部隊は大きな損害を受けました。この戦いは戦車戦の難しさを象徴し、戦術や装備の見直しにつながりました。最終的に連合軍は地域を制圧しましたが、犠牲は極めて大きいものとなりました。戦術教訓として軍事史に記録される重要な一幕です。
1944年 第二次世界大戦 ヴィレル・ボカージュの戦い
1944年

第二次世界大戦: ナチス・ドイツがV1飛行爆弾によるイギリス攻撃を開始する。

1944年6月13日、ナチス・ドイツは復讐兵器V1飛行爆弾によるイギリス本土への攻撃を開始しました。
第二次世界大戦末期、ドイツは復讐兵器と呼ばれるV1飛行爆弾を開発しました。1944年6月13日、これを用いたイギリス本土への本格的な攻撃が始まりました。無人飛行爆弾はロンドンや南東イングランドに多数降下し、民間人に甚大な被害をもたらしました。迎撃砲や戦闘機、レーダーを駆使した防衛網が構築されましたが、防ぎきれない爆撃も続きました。この攻撃は航空戦力と工業力の総力戦を象徴し、戦後のミサイル技術発展に影響を与えました。
ナチス・ドイツ V1飛行爆弾 イギリス
1952年

カタリナ事件: スウェーデン軍のDC 3がソビエト連邦のMiG 15に撃墜される。

1952年6月13日、スウェーデン軍のDC-3輸送機がソ連のMiG-15戦闘機に撃墜されるカタリナ事件が発生しました。
冷戦下の1952年6月13日、国連軍の一部として活動していたスウェーデン軍のDC-3輸送機(愛称カタリナ)がソビエト連邦領空でMiG-15に迎撃され撃墜されました。機体には乗員乗客を含む全員が搭乗しており、犠牲者も多数に上りました。この事件は中立を保持しようとしたスウェーデンにとって衝撃であり、国際社会にソ連の冷戦下での強硬姿勢を印象づけました。ソビエト側は誤認撃墜を主張しましたが、議論は長期にわたり続きました。カタリナ事件は冷戦時代の空域における危険性を象徴する出来事として記憶されています。
1952年 カタリナ事件 スウェーデン DC-3 ソビエト連邦 MiG-15
1971年

ベトナム戦争: ニューヨーク・タイムズがペンタゴン・ペーパーズを掲載。

ニューヨーク・タイムズがベトナム戦争の機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を掲載した。
1971年6月13日、ニューヨーク・タイムズ紙はベトナム戦争に関する極秘報告書『ペンタゴン・ペーパーズ』の一部を掲載しました。これらの文書は1950~60年代の米政府の戦略的決定過程や紛争の実態を詳細に記録し、政府高官の虚偽報告や情報統制を示唆していました。掲載を受けてニクソン政権は差し止めを求めましたが、最高裁は報道の自由を支持する判決を下しました。この事件は報道の自由と政府の秘密保護の境界を巡る重要な論争を呼び起こしました。
1971年 ベトナム戦争 ニューヨーク・タイムズ ペンタゴン・ペーパーズ