1965年
新潟大学教授の植木幸明らが、新潟県阿賀野川流域で水俣病に似た有機水銀中毒の患者が発生と発表(第二水俣病)。
新潟県阿賀野川流域で水俣病と同様の有機水銀中毒患者が発生したことが発表され、第二水俣病と呼ばれた。
1965年6月12日、新潟大学の植木幸明教授らが阿賀野川流域で水俣病に似た症状を示す有機水銀中毒患者の発生を発表しました。
この事件は『第二水俣病』と呼ばれ、チッソ新潟工場から排出された有機水銀が原因とされました。
患者は手足のしびれや視野狭窄、運動障害などを訴え、最終的に多くの住民が深刻な健康被害を受けました。
政府は調査委員会を設置し、原因究明と被害者救済に取り組みましたが、対応の遅れや補償問題が長く議論を呼びました。
第二水俣病は公害問題として日本の環境政策や企業責任を問い直す契機となり、その後の環境保全法整備に影響を与えました。
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