1926年

近鉄あやめ池遊園地開業。2004年に閉園。

1926年、近鉄あやめ池遊園地が開業し、78年間にわたり多くの家族に親しまれた。
1926年6月11日、奈良県の近鉄あやめ池駅近くにあやめ池遊園地が開業しました。 動物園やボート、観覧車など多彩なアトラクションを備え、地域の憩いの場として親しまれます。 戦後は夏祭りイベントやナイター営業なども導入され、さらに集客を伸ばしました。 2004年9月30日に閉園し、78年にわたる歴史に幕を下ろしました。 閉園後は跡地に住宅地や商業施設が整備され、地域の記憶に残る存在となっています。
1926年 近鉄あやめ池遊園地
1949年

東京都が失業対策事業の日当を245円に決定。日当の給付金額から失対労働者は「ニコヨン」と呼ばれた。

東京都が失業対策の日当を245円に決定し、「ニコヨン」と呼ばれた。
1949年6月11日、東京都は失業対策事業の日当を245円に決定し、支給を受ける労働者は「ニコヨン」と呼ばれました。終戦直後の混乱期、東京の失業率は高水準にあり、日雇い労働者の生活を支えるための緊急措置でした。245円は当時の一般的な賃金水準に比べて低かったものの、多くの市民の糧となりました。「ニコヨン」の名称は支給額の「二百四十五円」から親しみをこめて呼ばれたもので、戦後の生活痕跡を伝える言葉として残っています。この制度は後の公的雇用対策や福祉施策の先駆けとも言われています。
1949年
1951年

産業教育振興法公布。

産業教育振興法が公布され職業教育の整備が進んだ。
1951年6月11日、産業教育振興法が公布され、職業教育や技能訓練の体系的な整備が進められることとなりました。この法律は高度経済成長期を見据え、産業界が求める人材育成を国家的に支援することを目的としました。各地の職業訓練校や専修学校への補助制度が創設され、企業内教育との連携強化が図られました。これにより戦後の技能伝承と産業近代化が加速し、日本の工業競争力向上に寄与しました。現在の職業教育制度の基盤となる重要な法整備でした。
1951年 産業教育振興法