1955年

ル・マン24時間レースで接触事故により車が爆発炎上。ドライバーと観客82人が死亡する、モータースポーツ史上最悪の事故となる。

ル・マン24時間レースで発生した史上最悪のモータースポーツ事故。
1955年6月11日にフランスのル・マンで開かれた24時間レース中、マシン同士の接触事故でメルセデス・ベンツ300 SLRが爆発炎上しました。 この事故で83人(ドライバー1名、観客82名)が犠牲となり、モータースポーツ史上最悪の惨事となりました。 事故の瞬間をとらえた衝撃的な写真は世界中に報じられ、安全性への懸念が一気に高まりました。 主催者はレースの安全基準やコースの見直しを余儀なくされ、後のレース運営に多大な影響を与えました。 メルセデス・ベンツは安全性確保のため一時モータースポーツから撤退を決定し、業界全体に安全意識の向上を促しました。
1955年 ル・マン24時間レース
1964年

神奈川県川崎市で昭和電工川崎工場爆発事故が発生。

川崎市の昭和電工工場で化学プラント爆発事故が発生。
1964年6月11日、神奈川県川崎市にあった昭和電工川崎工場で大規模な爆発事故が発生しました。 プラント内の製造設備でガスが引火し、瞬時に激しい火炎と爆風が広がりました。 この事故により作業員や近隣住民に多数の死傷者が出て、現場は壊滅的な被害を受けました。 原因調査により安全管理の不備が指摘され、日本の化学工場における安全基準強化の契機となりました。 以後、化学工業全体で設備点検や緊急対応マニュアルの整備が進められるようになりました。
1964年 神奈川県 川崎市 昭和電工川崎工場爆発事故
1981年

イラン・ゴルバフ地方でマグニチュード6.7の地震。死者約3000人。

イラン・ゴルバフ地方でM6.7の大地震、約3000人が犠牲に。
1981年6月11日、イラン南部ゴルバフ地方を震源とするマグニチュード6.7の地震が発生しました。 強い揺れは多くの集落を襲い、建物の倒壊により約3000人が死亡、数千人が負傷しました。 被災地では救援活動が急ピッチで行われたものの、山間部へのアクセスの困難さが支援を遅らせました。 地質学的にはペルシャ台地を横断する断層帯が活動したとされ、後の防災対策に重要な教訓を残しました。 この地震はイラン国内の耐震建築基準見直しを促すきっかけともなりました。
1981年 イラン マグニチュード