弘安4年5月21日
元寇: 壱岐・対馬に高麗の兵船が襲来。弘安の役の始まり。
鎌倉時代の元寇において、弘安の役が九州北部で始まり、壱岐・対馬が襲撃された。
1281年6月9日(弘安4年5月21日)、元と高麗連合軍が壱岐・対馬へ襲来し、弘安の役が正式に幕を開けました。両島の武士たちは激しい抵抗を見せたものの、数に勝る元軍の攻勢に苦戦を強いられました。元軍は船団を二手に分け、対馬に上陸して地域を荒らし、朝廷の防衛網を試します。最終的には台風(神風)によって元軍の船が大打撃を受け、この侵攻は失敗に終わりました。鎌倉幕府は元寇に備えて防塁を築くなど内政を強化し、日本の独立を維持する道を選びました。
1281年
弘安
5月21日
元寇
高麗
弘安の役
1863年
南北戦争: ブランディ・ステーションの戦い。
南北戦争における最大の騎兵戦であり、北軍騎兵の実力が試された戦い。
1863年6月9日、バージニア州ブランディ・ステーションで南北戦争最大の騎兵戦が行われました。北軍騎兵司令官アルフレッド・プリーストン率いる2,500名の部隊が突如、南軍騎兵の拠点を襲撃しました。南軍指揮官J.E.B.スチュアートの約9,500名の騎兵と激突し、互いに激しい突撃を繰り返しました。戦闘は一日中続き、勝敗はつかなかったものの、北軍騎兵の戦術的な向上を示す結果となりました。ブランディ・ステーションの戦いはゲティスバーグの前哨戦とも位置づけられ、南北双方が騎兵の重要性を再認識する契機となりました。
1863年
南北戦争
ブランディ・ステーションの戦い
慶応元年5月16日
第二次長州征討: 将軍徳川家茂が江戸を出発。
幕府が長州藩を討伐する第二次長州征討が開始され、将軍徳川家茂が江戸を発ちました。
幕末の動乱期における長州征討の一環として、将軍徳川家茂が江戸を出発しました。
長州藩は尊王攘夷運動を主導し、幕府は勢力抑制を狙って討伐を決定。
第一次征討では成果を挙げられず、再度の遠征が計画されていた経緯があります。
出発後、家茂は幕臣と共に京都へ向かい、軍事行動を準備しました。
この出来事は幕府の威信と長州藩の抵抗意志が激突する象徴的な事件となりました。
1865年
慶応
5月16日
第二次長州征討
徳川家茂
1938年
日中戦争: 黄河決壊事件。
日中戦争時に中華民国軍が黄河の堤防を爆破し、日本軍の進攻を食い止めるために意図的な決壊を引き起こした事件。
1938年6月、中国北部の戦局を左右するために中華民国政府は黄河の堤防を爆破し、河川を決壊させた。
膨大な量の水が河南省や安徽省一帯を飲み込み、農地や集落が広範囲にわたり水没。
日本軍の前進を一時的に抑え込む戦術的効果を狙ったものの、多くの民間人が被災し、被害は甚大となった。
犠牲者数や経済的損失は当時の記録でも正確に把握できていないが、数万人から数十万人規模の死傷者が出たとされる。
この事件は黄河流域の地形や河川管理にも重大な影響を与えた。
戦略的決壊という非常措置がもたらした環境・社会への長期的影響は現在でも語り草となっている。
1938年
日中戦争
黄河決壊事件
1944年
第二次世界大戦・継続戦争: ソ連がフィンランドへの再攻勢を開始。
1944年6月、ソ連軍が継続戦争においてフィンランド南部への大規模な反攻を開始した。
継続戦争中の1944年6月9日、ソ連はヴィボルグ=ペトロザヴォーツク攻勢を発動し、バルト海沿岸から北カレリア方面まで南北に大規模攻勢をかけた。
ソ連軍は重火力と機甲部隊を中心にフィンランド軍前線を突破し、多くの要衝を短期間で奪取。
ヴィボルグやカレリア地峡の防衛線が崩壊し、フィンランド国内に深刻な軍事的圧力がかかった。
この反攻によりフィンランドは講和を視野に入れざるを得なくなり、後のモスクワ講和協定締結への道を開いた。
継続戦争の転換点として、両国の関係と北欧全体の戦後処理に大きな影響を与えた重要作戦である。
1944年
第二次世界大戦
継続戦争
ソ連
フィンランド
1945年
第二次世界大戦・日本本土空襲: 熱田空襲。従業員や動員学徒1,045人が死亡。
1945年6月9日、名古屋市熱田地区に対する米軍B-29による大規模空襲で多数の犠牲者が出た。
太平洋戦争末期の1945年6月9日、米軍はB-29爆撃機部隊を投入して名古屋市熱田区を標的にした。
工場や軍需施設を狙い撃ちにしたこの空襲で、動員学徒や工場従業員ら1,045人が死亡、数千人が負傷した。
市街地は大きな被害を受け、住宅地や商店街も甚大な被災を免れなかった。
この攻撃は日本本土空襲の中でも特に犠牲者が多い一撃として記録されている。
戦後、被災地は復興に向けて再建されたが、当時の記憶は地域住民の間で語り継がれている。
1945年
日本本土空襲
熱田空襲
1967年
第三次中東戦争: イスラエルがシリアのゴラン高原を占拠。
1967年の第三次中東戦争で、イスラエル軍がシリアのゴラン高原を占領した重要な軍事行動。
1967年の第三次中東戦争は、アラブ諸国連合とイスラエルの間で勃発した戦争です。
6月9日、イスラエル軍はシリア領ゴラン高原を一挙に制圧し、戦術的優位を確立しました。
ゴラン高原は軍事的要衝であると同時に、貴重な水源地帯でもあります。
この占領は中東地域の地政学的バランスを大きく変え、シリアとの緊張を長年にわたり引き起こしました。
現在もゴラン高原の帰属を巡る国際的な議論が続いています。
1967年
第三次中東戦争
イスラエル
シリア
ゴラン高原