1783年
アイスランドでラキ火山が噴火。火山灰などの影響により、数年にわたりヨーロッパが異常気象となる。
1783年6月8日、アイスランドのラキ火山が大噴火し、火山灰でヨーロッパに異常気象を引き起こした。
1783年6月8日、アイスランド南部のラキ火山が大規模な噴火を開始しました。
大量の火山灰と硫黄酸化物が大気中に拡散し、翌年にかけてヨーロッパ全域で気温低下や冷害が発生しました。
農作物の不作や飢饉、異常気象による社会混乱が各地で深刻化し、多数の死者を出しました。
この事象は「レイキャヴィークの霧」とも呼ばれ、地球規模での火山影響研究の重要な契機となりました。
ラキ火山の噴火は自然現象が人類社会に与える影響の大きさを示す歴史的事例です。
1783年
アイスランド
ラキ火山
噴火
火山灰
ヨーロッパ
異常気象
1924年
ジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンがエベレスト登山中に行方不明になる。
ジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンがエベレスト登頂挑戦中に消息を絶った日です。未解明のミステリーとして知られます。
1924年6月8日、イギリスの登山家ジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンはエベレスト登頂に挑戦中、南稜ルートを進行後に行方不明となりました。その後の捜索でも二人の遺体は長く発見されず、彼らが山頂に到達したか否かは謎のまま今日に至ります。1953年にアーヴィンの遺体が発見された際にも、多くの問いが残されたままでした。この事件は極限状態での人間の挑戦とロマンを象徴し、エベレスト探検史における最大のミステリーとされています。今日でも両名の足跡は登山史に刻まれています。
1924年
ジョージ・マロリー
アンドリュー・アーヴィン
エベレスト
1943年
第二次世界大戦: 日本海軍の戦艦「陸奥」が呉港沖の柱島泊地に停泊中、爆発事故を起こし沈没。
日本海軍戦艦「陸奥」が呉沖で爆発事故を起こし沈没した。
1943年6月8日、日本海軍の戦艦「陸奥」が呉港沖の柱島泊地に停泊中に原因不明の大爆発を起こし、沈没しました。艦内に搭載されていた弾薬が何らかの理由で誘爆したと考えられ、多くの乗組員が被害を受けました。公式発表では死者1,121名、負傷者多数とされ、当時の日本海軍にとって大きな衝撃となりました。爆発の原因は今も完全には解明されておらず、内部抗争説や機密保持の観点から様々な憶測が飛び交いました。事故後、帝国海軍では弾薬管理の徹底や安全対策強化が急務とされ、同様の事故防止に向けた方策が検討されました。
1943年
日本海軍
戦艦
陸奥
呉港
柱島泊地
1947年
大阪府岸和田市で演芸場の屋根が落下する事故。死者70人。
岸和田市の演芸場で屋根が崩落し、多数の死者が出た。
1947年6月8日、大阪府岸和田市の演芸場で屋根が突然崩落し、観客や出演者らに大きな被害が発生しました。事故により70名が死亡し、負傷者も多数に上りました。建物の老朽化や設計強度不足が原因とされ、当時の建築基準に対する疑問が提起されました。事故後、劇場や公共建築物の安全点検が強化され、建築基準法の見直し議論が活発化する契機となりました。地域社会には深い悲しみと同時に防災意識の高まりが生まれました。
1947年
大阪府
岸和田市
演芸場
1966年
試作戦略爆撃機XB 70ヴァルキリーのうちの1機が、宣伝用映画撮影のための編隊飛行で戦闘機F 104スターファイターと空中衝突。操縦していたジョセフ・ウォーカーらが死亡。
試作戦略爆撃機XB-70ヴァルキリーが宣伝用編隊飛行中にF-104戦闘機と衝突し、操縦していたジョセフ・ウォーカーらが死亡した。
XB-70ヴァルキリーはマッハ3級の超音速飛行を目指して開発されたアメリカの試作戦略爆撃機でした。1966年6月8日、宣伝用映画撮影のために組まれた編隊飛行中に、F-104スターファイターと接触事故を起こしました。衝突により両機は制御を失い、空中分解状態となりました。F-104を操縦していたジョセフ・ウォーカーらが即死し、XB-70の搭乗員も脱出を余儀なくされました。事故原因は編隊間隔の誤認や乱気流の影響と考えられています。巨額の開発費と安全性への懸念から、XB-70計画は後に縮小され、実用化は実現しませんでした。
1966年
戦略爆撃機
XB-70ヴァルキリー
戦闘機
F-104スターファイター
ジョセフ・ウォーカー
2008年
秋葉原通り魔事件が発生。7人が死亡、10人が重軽傷を負う、戦後最悪の通り魔事件。
2008年6月8日、東京・秋葉原で通り魔事件が発生し、7人が死亡、10人が重軽傷を負いました。戦後最悪の凶悪事件とされました。
秋葉原通り魔事件は2008年6月8日に東京・秋葉原で発生しました。
被疑者はトラックで通行人をはねた後、刃物で次々と襲撃し7人が死亡、10人が重軽傷を負いました。
戦後最悪の通り魔事件とされ、都市部の防犯対策の見直しが求められました。
犯行動機や精神状態に関する報道が社会に大きな衝撃を与えました。
事件後、秋葉原周辺では歩行者天国の安全対策が強化されました。
2008年
秋葉原通り魔事件