1513年
イタリア戦争(カンブレー同盟戦争): ノヴァーラの戦い
イタリア戦争中、フランス軍とスイス傭兵が激突したノヴァーラの戦いが行われました。
1513年6月6日、イタリア戦争(カンブレー同盟戦争)においてノヴァーラの戦いが勃発しました。フランス軍はミラノ支配を巡りスイス傭兵と衝突しました。スイス軍は地形を生かした堅固な防御でフランス軍を退け、多くの捕虜を獲得しました。この戦いによりフランスの北イタリアへの影響力は大きく後退しました。また、イタリア戦争全体の戦局にも重要な転機をもたらしました。
1513年
イタリア戦争
カンブレー同盟戦争
ノヴァーラの戦い
1813年
米英戦争: ストーニー・クリークの戦い
米英戦争中、カナダ近郊でアメリカ軍とイギリス軍が衝突したストーニー・クリークの戦いが発生しました。
1813年6月6日、米英戦争においてカナダのオンタリオ州ストーニー・クリークで両軍が衝突しました。アメリカ軍はイギリス領カナダへの侵攻を試み、一時的に優位に立ちました。しかし、イギリス軍はハーヴェイ大佐らの指揮のもと夜襲を敢行し、アメリカ軍に大混乱をもたらしました。激戦の末、アメリカ軍は撤退を余儀なくされ、イギリス軍が戦術的勝利を収めました。この勝利はカナダ北部戦線における重要な転換点となり、英国陸軍の士気を大いに高めました。
1813年
米英戦争
ストーニー・クリークの戦い
1862年
南北戦争: メンフィスの戦い
米南北戦争中の1862年、テネシー州メンフィスをめぐる戦闘が行われました。
メンフィスの戦いは、南北戦争において戦略的要衝であるメンフィスを北軍が確保するために行われた戦闘です。北軍は川沿いの砲台や艦艇を用いて南軍の守備を攻撃し、最終的に市内への進入を果たしました。南軍は撤退を余儀なくされ、メンフィスは北軍の支配下に入りました。この勝利によりミシシッピ川流域の制圧が進み、南部諸州の分断が加速されました。戦術的には砲撃戦と市街戦が混在し、当時の軍事技術や指揮系統の重要性が浮き彫りとなりました。
1862年
南北戦争
メンフィスの戦い
1942年
第二次世界大戦・アリューシャン方面の戦い: 日本軍がアリューシャン列島のアッツ島を占領。
1942年6月6日、日本軍がアリューシャン列島のアッツ島を占領し、北太平洋戦略に新たな局面をもたらしました。
アリューシャン方面の戦いは太平洋戦争の北部戦線における戦闘です。
6月6日、日本艦隊と陸軍部隊がアッツ島に上陸し、ほぼ無抵抗で占領を完了しました。
この作戦はアメリカ本土への脅威を高める意図がありましたが、補給線の不安定さや気象条件の厳しさが後の日本軍に大きな困難を与えました。
翌年、アメリカ軍の反攻によってアッツ島は激戦の末奪還されることとなり、北太平洋戦線の重要な章となりました。
1942年
第二次世界大戦
アリューシャン方面の戦い
アリューシャン列島
アッツ島
1942年
第二次世界大戦・ミッドウェー海戦:主力空母「赤城」「飛龍」が沈没し日本海軍機動部隊が事実上壊滅。
1942年6月6日、ミッドウェー海戦で空母「赤城」「飛龍」が沈没し、日本海軍機動部隊が壊滅的打撃を受けました。
ミッドウェー海戦は太平洋戦争の転換点となった海戦です。
日本軍は艦隊決戦でアメリカ太平洋艦隊を殲滅しようと試みました。
しかし暗号解読によりアメリカ軍が日本艦隊の動きを事前に察知し、反撃に移りました。
6月6日、航空機の連続攻撃で空母赤城と飛龍が沈没し、日本の機動部隊は戦力の中核を失いました。
この敗北が日本海軍の攻勢を終わらせ、戦局に決定的な影響を与えました。
第二次世界大戦
ミッドウェー海戦
赤城
飛龍
日本海軍
1944年
第二次世界大戦: ノルマンディー上陸作戦が決行される。(D デイ)
1944年6月6日、連合軍によるノルマンディー上陸作戦(Dデイ)が始まり、西ヨーロッパ解放への大規模侵攻が展開されました。
ノルマンディー上陸作戦は第二次世界大戦中、最大規模の水陸両用作戦として実施されました。
アメリカ・イギリス・カナダ軍を主力とする約15万人の兵力が5カ所の海岸に上陸しました。
早朝の空挺部隊投入と事前の海上・航空砲撃支援によりドイツ軍の拠点を順次制圧しました。
厳しい潮流と熾烈な抵抗の中で多大な犠牲を払いつつも橋頭堡を確保しました。
この成功が西ヨーロッパ解放の突破口となり、ナチス・ドイツ降伏への重要な一歩となりました。
1944年
ノルマンディー上陸作戦
D-デイ
1945年
第二次世界大戦・沖縄戦: 陸戦隊指揮官大田実海軍少将が海軍次官宛に、後世有名になった「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報を打電。
1945年6月6日、沖縄戦中に大田実海軍少将が「沖縄県民斯ク戦ヘリ」と記された電報を送信し、住民の犠牲と奮戦を報告しました。
沖縄戦は太平洋戦争末期に行われた国内最後の大規模戦闘で、多くの住民が巻き込まれました。
6月6日、陸戦隊指揮官の大田実少将は海軍次官に対し、住民の壮絶な戦いぶりと犠牲を報告する電報を送信しました。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ」という見出しは、住民の勇気と悲劇を象徴する言葉として戦後に広く知られることになります。
この電報は沖縄戦の実態を伝える重要資料となり、戦後の戦史研究や平和教育で重視されています。
大田少将の記録は現在も語り継がれ、住民と兵士の苦難を伝え続けています。
1945年
沖縄戦
陸戦隊
大田実
海軍
少将
1971年
ベトナム戦争: ロンカンの戦い
ロンカンの戦いが勃発し、ベトナム戦争末期の激戦が展開されました。
1971年6月6日、ベトナム共和国軍(ARVN)とアメリカ軍が南ベトナムのロンカン地域で北ベトナム軍(NVA)と交戦を開始しました。
戦いは森林やジャングルの地形を活用したゲリラ戦が主体で、双方に多数の死傷者を出しました。
アメリカ軍は航空支援や砲撃を用いて反撃し、ARVN部隊も地上戦闘で奮戦しました。
この戦闘はベトナム戦争末期の消耗戦を象徴する一幕となり、戦況に大きな影響を与えました。
戦い後、両軍は領域を巡り激しい攻防を続け、現地住民にも甚大な被害が及びました。
ベトナム戦争
ロンカンの戦い
英語版
1982年
イスラエルがレバノンに侵攻、レバノン戦争勃発。
イスラエルがレバノンに侵攻し、レバノン戦争が勃発しました。
1982年6月6日、イスラエル国防軍がレバノン南部への大規模侵攻を開始し、レバノン戦争が勃発しました。
侵攻の背景にはPLO(パレスチナ解放機構)拠点への攻撃や北部国境でのロケット攻撃への対処がありました。
イスラエル軍は空爆と地上部隊を投入し、ベイルートを含む広域での戦闘が激化しました。
この侵攻により多くの一般市民が巻き込まれ、シリア軍やレバノン国軍との衝突も発生しました。
戦争は数ヶ月続き、国際社会の非難や和平交渉が行われたものの、地域対立の解決には至りませんでした。
1982年
イスラエル
レバノン
レバノン戦争
1984年
ブルースター作戦: インド首相インディラ・ガンディーの命によりインド陸軍がシク教の総本山であるハリマンディル・サーヒブを攻撃。
インド首相インディラ・ガンディーがシク教徒の聖地・ハリマンディル・サーヒブ(黄金寺院)に対して軍事作戦を指示し、インド陸軍が突入した。
1984年6月6日、インディラ・ガンディー首相はシク教過激派が立てこもるアムリトサルのハリマンディル・サーヒブ(黄金寺院)への攻撃を命じた。作戦は数日間に及び、寺院内外で多数の死傷者が発生したとされる。これによりシク教徒と政府の対立が激化し、その後の国内情勢に重大な影響を及ぼした。作戦後、同年10月にインディラ・ガンディー首相はシク教徒の一団に暗殺されるなど、後続の政治・治安問題を引き起こした。
1984年
ブルースター作戦
インディラ・ガンディー
シク教
ハリマンディル・サーヒブ
2017年
シリア内戦:ラッカの戦いは、イラクとレバントのイスラム国(ISIL)から都市を占領するためのシリア民主軍(SDF)による攻撃が開始された。
シリア民主軍によるISIL支配下のラッカ奪還を目指す大規模攻撃が始まった。
2017年6月6日、シリア内戦におけるラッカの戦いが本格的に開始されました。シリア民主軍(SDF)は、イラクとレバントのイスラム国(ISIL)が占領していた都市ラッカに対し、米軍などの支援を受けながら攻撃を展開しました。SDFはクルド人勢力とアラブ部族の連合部隊で構成され、ラッカ奪還はISIL掃討作戦の重要な節目とされました。激しい市街戦や空爆により市民にも多大な被害が出た一方で、ISILの主要拠点が次々と制圧されていきました。最終的には10月にラッカ市街の解放に成功し、ISILの「首都」は陥落しました。この戦いは中東情勢に大きな影響を与え、国際的な非人道的組織との戦いの象徴的な事例となりました。
ラッカの戦い
英語版
2023年
ウクライナ南部ヘルソン州のロシア支配地域にあるカホウカ水力発電所のダムが、攻撃を受けて決壊。周辺の地域で洪水が発生し、1万7000人が避難を強いられた。同日、この決壊を議論する国際連合安全保障理事会が開催された。
ロシア支配下のカホウカ水力発電所のダム決壊で洪水が発生し、約1万7000人が避難した。
2023年6月6日、ウクライナ南部ヘルソン州のロシア支配地域にあるカホウカ水力発電所のダムが軍事攻撃を受けて決壊しました。大量の水が一気に下流域に流れ込み、周辺住民約1万7000人が緊急避難を強いられました。洪水は農地や住宅地を襲い、人道的危機と環境への深刻な影響を引き起こしました。同日、国連安全保障理事会は緊急会合を開き、ダム決壊の原因と影響について議論を行いました。この事件は戦時下におけるインフラ破壊の危険性を浮き彫りにし、国際社会からの非難と支援要請が相次ぎました。
2023年
ウクライナ
ヘルソン州
カホウカ水力発電所
国際連合安全保障理事会