享保元年4月15日

江戸幕府が、東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中の五街道の呼称を布達。

江戸幕府が五街道の正式名称を定め、街道網の整備と統制を強化しました。
1716年6月4日、徳川吉宗の江戸幕府は東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中の五街道の呼称を布達しました。これらの街道は参勤交代や物流の主要路線として整備され、幕府の統治と経済管理に欠かせないものとなりました。各街道沿いには宿場や関所が配置され、安全かつ効率的な人馬の往来を保証しました。体系的な街道網の整備は江戸時代の社会・経済活動を飛躍的に活性化させました。
1716年 享保 4月15日 東海道 中山道 日光道中 奥州道中 甲州道中 五街道
1989年

JR北海道池北線が第三セクター北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に転換、営業開始。

1989年6月4日、JR北海道池北線が第三セクター方式の北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に転換され、運営が引き継がれました。
1987年の国鉄分割民営化に伴い、経営が厳しくなったローカル線の維持が課題となりました。 JR北海道池北線は地域輸送の重要路線でしたが、利用者減少により第三セクター方式による存続が検討されました。 1989年6月4日に北海道ちほく高原鉄道が設立され、「ふるさと銀河線」の愛称で営業を開始しました。 車両や駅施設は引き継がれ、地域の観光振興と住民生活支援を目的とした運行が行われました。 沿線には自然豊かな風景が広がり、観光列車の運行など新たな取り組みも実施されました。 しかし少子高齢化に伴う利用者減少が続き、2006年に路線は廃止されました。
JR北海道 第三セクター 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線
2006年

NTT中継回線が光ファイバー伝送のデジタル回線に移行し、1960年代にかけて全国に拡大したマイクロ波を用いた中継回線は52年間続いた役目を終える。

NTTの中継回線が光ファイバーへ完全移行し、旧来のマイクロ波中継が終了。
2006年6月4日、NTTは全国に張り巡らされたマイクロ波を用いた中継回線を終え、光ファイバー伝送によるデジタル回線へ全面移行した。 1960年代から半世紀以上にわたって通信インフラを支えてきたマイクロ波中継は52年の役目を終えた。 光ファイバー化により通信速度と品質が大幅に向上し、帯域幅拡大やサービス多様化が可能となった。 現代の高速通信網の基盤を築く重要な転換点となった出来事である。
2006年 NTT中継回線 光ファイバー マイクロ波
2009年

静岡空港が開港。

2009年6月4日、静岡県に新設された静岡空港が開港しました。東海道地域の航空アクセスを大きく向上させた空港です。
静岡空港は、東名高速道路や新東名高速道路に隣接し、アクセスの良さが特徴の新空港です。地元企業と官民連携によって整備され、地域振興を目的に建設されました。国内線を中心に就航し、観光・ビジネス利用双方に寄与しています。開港当初から観光客の利便性が高まり、周辺地域の経済活性化に貢献しました。静岡茶や特産品の輸送拠点としても期待されています。
2009年 静岡空港
2011年

JR東日本が動態復元した蒸気機関車C61形20号機が復活し、営業運転開始。

JR東日本が動態復元した蒸気機関車C61形20号機を復活させ、営業運転を再開しました。
蒸気機関車C61形は戦後間もなく製造された旅客用機関車で、20号機は初期の貴重な機体です。JR東日本は退役後長らく保管されていた同機を、ボランティアや専門家と協力して動態復元しました。2011年6月4日、復元されたC61形20号機が久しぶりに火を吹き、観光列車として営業運転を開始。蒸気機関車ファンのみならず、多くの鉄道利用者から注目を集めました。復元プロジェクトは、鉄道文化の保存と地域活性化への貢献事例として高く評価されました。
2011年 JR東日本 動態復元 蒸気機関車 C61形20号機