1140年

フランスの神学者ピエール・アベラールがセンズで開かれた評議会で異端と宣告される。

アベラールが異端とされた、中世思想史に残る論争の一場面。
中世ヨーロッパにおけるロジックと神学の巨匠、ピエール・アベラール。 1140年6月3日、フランス・センズ評議会でその独自の教説は異端と断じられ、国外追放が宣告されました。 彼の理性主義的アプローチは教会権威との激しい対立を招き、後世の哲学・神学に大きな影響を与えます。 この評議会裁定は学問と言論の自由、宗教権力の抑制というテーマを浮き彫りにしました。 アベラールの運命は、信仰と理性の葛藤という普遍的な問題を象徴しています。
1140年 フランス ピエール・アベラール 異端
1932年

小津安二郎監督の『生れてはみたけれど』が封切り。

1932年6月3日、小津安二郎監督の初期作品『生れてはみたけれど』が封切りされました。
『生れてはみたけれど』は小津安二郎の監督デビュー作で、喜劇と人間ドラマを融合させた作品です。 物語は葉山の別荘を舞台に、養子として育てられた青年が突然の相続で富と地位を得る混乱を描いています。 無声映画として制作され、当時の生活様式や階級意識をユーモラスに映し出しました。 公開後、批評家から高く評価され、小津の作家性がすでに垣間見える作品として知られています。 この作品は小津の後の作風にも通じるテーマを含み、映画史上重要な一作とされています。
1932年 小津安二郎 生れてはみたけれど
1946年

東宝が第1回ニューフェースの審査を行う。応募者は約4千人で採用は三船敏郎、久我美子、岸旗江ら男性16人、女性32人。

東宝が1946年6月3日に第1回ニューフェース審査を実施し、約4千人の応募から三船敏郎らが選出された。 戦後日本映画界に新風を吹き込んだオーディション。
戦後復興期の日本映画界で、人材発掘を目的として東宝が新人俳優オーディションを開催。 当時約4千人の応募者から、男性16名、女性32名の合計48名が「ニューフェース」として選ばれた。 なかでも三船敏郎や久我美子、岸旗江らは後に映画スターとして国際的にも活躍した。 この審査会は、日本映画の興行回復と質的向上を図る重要な転機となった。 東宝の新人育成システムは、以後の映画人材発掘モデルとして定着した。
1946年 東宝 三船敏郎 久我美子 岸旗江
1947年

フランスの作曲家、フランシス・プーランクのオペラ『ティレジアスの乳房』初演。

フランシス・プーランクの実験的オペラ『ティレジアスの乳房』が1947年6月3日に初演された。 近代音楽の最前線を行く意欲作。
プーランクは20世紀フランスを代表する作曲家の一人で、独自の和声とリズム感を持つ作品を多数残した。 『ティレジアスの乳房』はギリシャ神話のティレシアスを題材にしたオペラで、前衛的な音楽言語を用いている。 1947年6月3日にパリで初演され、当時の聴衆に衝撃を与えた。 作風は軽妙さと深い精神性を併せ持ち、プーランクの作曲技法の成熟を示す重要作とされる。 その後の戦後フランス音楽に大きな影響を与え、現代オペラの一つの指標となった。
フランシス・プーランク
1960年

大島渚監督の映画『青春残酷物語』が公開。以降、吉田喜重の『ろくでなし』など「日本のヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれる作品が話題になる。

大島渚監督の映画『青春残酷物語』が公開され、日本のヌーヴェルヴァーグの幕開けとなりました。
1960年6月3日、大島渚監督の『青春残酷物語』が公開されました。 本作は既成の映画表現を打破する実験的な演出と若者のリアルな姿を描いたことで注目されました。 この公開を契機に、吉田喜重による『ろくでなし』など『日本のヌーヴェルヴァーグ』と呼ばれる作品群が登場しました。 新しい映像美学や社会批評を志向するこれらの作品は、従来の大衆映画とは一線を画し、若手監督たちの台頭を促しました。 日本映画の表現領域を広げる文化的転換点として評価されています。
1960年 大島渚 青春残酷物語 吉田喜重 日本のヌーヴェルヴァーグ
2000年

テレビ朝日のドラマ『相棒』(土曜ワイド劇場版)第1作放送。

2000年6月3日、テレビ朝日系ドラマ『相棒』の第1作が放送開始されました。
『相棒』はテレビ朝日の『土曜ワイド劇場』枠で2000年6月3日に放送された刑事ドラマで、杉下右京と亀山薫のバディを中心に展開されました。初回放送では特命係設立の経緯と初ミッションが描かれ、緻密な推理と人間ドラマが視聴者の支持を集めました。この第1作を皮切りにシリーズ化され、連続ドラマ枠や劇場版、スペシャルとして長寿化。日本の刑事ドラマを代表する作品となり、現在も高い人気を誇ります。
2000年 テレビ朝日 ドラマ 相棒 土曜ワイド劇場