1831年

イギリスの探検家ジェイムズ・クラーク・ロスが北磁極に到達。

1831年6月1日、探検家ジェイムズ・クラーク・ロスが北磁極に到達しました。
1831年6月1日、イギリス海軍の探検家ジェイムズ・クラーク・ロスは北極圏探検中に北磁極に到達しました。 ロスは前例のない観測機器を携え、地磁気の計測と位置特定を行う試みに成功します。 彼の到達は極地探検史において画期的な成果であり、その後の地磁気研究に大きな影響を与えました。 北磁極は常に移動するため、ロスの定義した位置記録は貴重な資料となりました。 この探検は後の北極航路開拓や科学的調査の礎となりました。
1831年 ジェイムズ・クラーク・ロス 北磁極
1875年

東京気象台が設置される。

1875年6月1日、東京気象台が設置され、日本の気象観測が本格化しました。
1875年6月1日、東京気象台が東京・築地に設置され、日本初の常設気象観測機関が創設されました。 気象台は気温、気圧、降水量などの記録を開始し、近代的な気象予報の基盤を築きました。 当時は気象学が発展途上であり、観測網の拡充が急務とされていました。 気象台のデータは農業や海運など多くの分野で利用され、社会インフラとして重要性を増していきます。 その後、全国に気象台網が広がり、日本の気象研究が飛躍的に進展しました。
1875年 東京気象台
1884年

日本初の天気予報が出され警察署・派出所に掲示。

日本初の天気予報が警察署に掲示され、近代気象予報の幕開けとなった。
1884年6月1日、日本で初めての公式天気予報が発表され、警察署や派出所に掲示された。 これにより一般市民が気象情報を身近に入手できるようになり、災害対策や農作業の計画に役立てられた。 日本の気象観測と予報体制はこの一歩から発展を始め、後の気象庁設置へとつながっていく。
1884年 天気予報
1888年

帝大気象台と海軍観象台の天文部門を合併して東京大学に移管し、麻布飯倉に東京天文台を創設。

東京大学に東京天文台が創設され、日本の天文学研究が本格化した。
1888年6月1日、帝国大学(現在の東京大学)に東京天文台が創設され、気象台と海軍観象台の天文部門が統合移管された。 新設された天文台は麻布飯倉に設置され、日本初の本格的な天文学研究機関としての役割を担った。 これにより近代天文学の研究体制が整備され、星の観測や暦の研究などが飛躍的に発展した。
1888年 東京天文台
1890年

アメリカ合衆国国勢調査局が国勢調査の集計にハーマン・ホレリスのタビュレーティングマシン(パンチカードシステム)を使用開始。

国勢調査でパンチカード式集計機が初めて導入され、情報処理の歴史が始まった。
1890年6月1日、アメリカ合衆国国勢調査局は、ハーマン・ホレリスが開発したタビュレーティングマシン(パンチカードシステム)を初めて国勢調査の集計に使用した。 従来の手作業に比べて圧倒的に高速かつ正確な集計が可能となり、統計処理の効率化に大きく貢献した。 この技術は後にIBMの前身となる企業の礎を築き、現代のコンピュータ時代への道を拓いた。
1890年 アメリカ合衆国国勢調査局 国勢調査 ハーマン・ホレリス タビュレーティングマシン
1910年

ロバート・スコットを隊長とするイギリスの南極探検隊が南極点を目指し出発。

スコット隊が南極点到達を目指して出発し、極地探検の歴史に新たな幕開け。
1910年6月1日、ロバート・スコットを隊長とするイギリスの南極探検隊(テラ・ノヴァ遠征)が、南極点到達を目指して出発した。 厳しい氷海を渡る船旅と雪原での補給活動は困難を極め、多くの試練を乗り越えながら進軍した。 この遠征は科学調査と地理的探検の両面を兼ね、日本を含む世界中の極地探検史に大きな足跡を残した。
ロバート・スコット 南極 南極点
1940年

アメリカ海軍の戦艦「ワシントン」が進水。

1940年6月1日、アメリカ海軍の戦艦「ワシントン(BB-56)」が進水した。
1940年6月1日、フィラデルフィア海軍工廠で北カロライナ級戦艦ワシントン(BB-56)が進水しました。 艦名は初代大統領ジョージ・ワシントンに由来し、最新鋭の火力と装甲を備えていました。 第二次世界大戦中には大西洋と太平洋両劇場で活躍し、艦隊防空や砲撃支援を担当しました。 戦後はレーダーや対空装備の試験艦としても使用されました。 技術的には最新鋭戦艦としてアメリカ艦船設計の象徴的存在でした。
1940年 アメリカ海軍 戦艦 ワシントン
1986年

上野動物園のパンダ・トントンが誕生。日本で初めてパンダの人工受精による出産に成功。

上野動物園で人工受精によるパンダ・トントンが誕生した日。
1986年6月1日、東京・上野動物園でジャイアントパンダのトントンが誕生。日本動物園協会と中国政府の協力により、世界でも稀なジャイアントパンダの人工受精に成功した。出産までの管理や技術は高度なチームワークの結晶であり、国内外で大きな話題を呼んだ。この成功は動物繁殖研究や希少種保護の新たな道を開き、繁殖技術の進展に寄与した。トントンはその後も来園者を魅了し、上野動物園の看板動物として親しまれている。
1986年 上野動物園 パンダ トントン
1999年

ソニー、子犬型のペットロボット・AIBOをインターネット限定発売。わずか20分で完売。

ソニーが子犬型ロボット『AIBO』をインターネット限定で発売し、わずか20分で完売した。
1999年6月1日、ソニーは世界初の家庭用エンタテインメントロボット『AIBO』を発売しました。 インターネット限定販売で、発売開始後20分で初回出荷分が完売しました。 AIBOは人工知能とセンサーを搭載し、自律的に動作・学習する機能を持っていました。 発売はロボット市場に大きな注目を集め、家庭用ロボットの可能性を示す画期的な出来事となりました。 その後も複数のシリーズが展開され、ペット型ロボットの先駆けとして評価されています。
ソニー ペット ロボット AIBO