ポルトガル王
ポルトガル王
ポルトガル王として中世の国家基盤を築き、王権強化に努めた人物。カスティーリャとの国境紛争やイネス・デ・カストロの悲劇的な物語で知られます。
1291年に生まれ、1325年に父王ディニスの後を継いでポルトガル王に即位。
在位中は貴族勢力の抑制と王権の強化を図り、国内統治の基盤整備を進めました。
対外的にはカスティーリャとの国境問題で武力対峙を行い、領土防衛に尽力。
兄弟間の権力争いやイネス・デ・カストロ事件は後世に語り継がれ、悲劇的なロマンスとして広く知られます。
彼の統治は中世ポルトガルの国家体制確立に大きく寄与した時代と評価されています。
1357年
アフォンソ4世
ポルトガル王
1291年
陸奥国の戦国大名
陸奥国の戦国大名
陸奥国を拠点に勢力を拡大した戦国時代の大名。伊達氏の基盤を築いた初期当主です。
1453年に生まれ、伊達氏の一族として陸奥国北部で家督を継承。
戦国時代の混乱下で領内支配を強化し、周辺の国人領主を従属させることで勢力を拡大しました。
厳格な統治と軍事力を背景に、伊達氏の家格向上を図った先駆け的存在です。
正室と側室の関係や跡継ぎ問題など、内紛も抱えつつも勢力基盤を確立。
その業績は子孫の伊達政宗へと受け継がれ、東北地方の有力大名として発展しました。
1514年
永正
5月5日
伊達尚宗
陸奥国
戦国大名
1453年
美濃国の戦国大名
美濃国の戦国大名
美濃国で台頭した戦国大名。商家出身から独力で大名へ上り詰めた異色の武将です。
1494年ごろ、美濃国に生まれたとされる斎藤道三は、元は油売商人の出身。
尾張の土岐氏を排して美濃を掌握し、独裁的な統治と用兵巧者として知られました。
「マムシ」の異名をとる冷徹さで家臣団を統率し、領内の統制を徹底。
娘帰蝶の縁談を通じて織田氏と友好関係を築くなど、戦国大名としての手腕も発揮。
その波乱に満ちた生涯は後世の小説やドラマでも取り上げられ、今なお人気の人物です。
1556年
弘治
4月20日
斎藤道三
美濃国
1494年
ロシアのツァレーヴィチ
ロシアのツァレーヴィチ
ロシア皇帝イヴァン雷帝の末子として生まれた皇太子。幼くして不慮の死を遂げ、陰謀説が絶えません。
1582年、ツァーリ・イヴァン4世(雷帝)の末子として生まれる。
1591年5月にウグリチで突然死亡し、暗殺説や不慮の事故説など諸説が飛び交いました。
死後、ボリス・ゴドゥノフによる陰謀説が有力視され、ロシアの動乱期「動乱の時代」の発端ともされます。
後にロシア正教会によって聖人として列聖され、民衆からは奇跡を起こす守護聖人とも信仰されました。
短い生涯ながらロシア史に大きな影響を与えた重要な人物です。
1591年
ウグリチのドミトリー
ロシア
ツァレーヴィチ
1582年
第115代天皇
第115代天皇
江戸時代中期の第115代天皇。学問と文化を愛し、和歌や書道を嗜んだ教養人です。
1720年に生まれ、1735年に第115代天皇として即位。
在位中は政治的実権を天皇側が直接握ることは少なかったものの、文化面での後押しが顕著でした。
和歌や書道を好み、朝廷の学者や芸術家を保護し、出版文化の発展に寄与。
1747年に譲位し、閑院宮家へ退きながらも学問と文化の振興に努めました。
その優雅な人柄と文化的功績は、江戸時代の天皇像を象徴するものといわれます。
1750年
寛延
4月23日
桜町天皇
天皇
1720年
ヨーゼフ2世の皇后
ヨーゼフ2世の皇后
神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の皇后として短い生涯を送った皇妃。慈善活動と信仰で知られます。
1739年にバイエルン選帝侯家に生まれ、1765年にヨーゼフ2世と結婚して皇后に即位。
夫ヨーゼフ2世との関係は良好で、宮廷では慈善事業や芸術支援に力を注ぎました。
敬虔なカトリック信者としても知られ、病院や孤児院の設立に関わるなど社会福祉に貢献。
1767年に出産後の合併症で急逝し、その短い皇后時代ながらも温かい人柄が人々の記憶に残りました。
後世には貴族社会における理想の皇后像として語り継がれています。
1767年
マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン
ヨーゼフ2世
1739年
作曲家
作曲家
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父であり教育者。作曲家としても活躍しました。
1719年にアウクスブルクで生まれ、宮廷音楽家として活躍。
ヴァイオリン奏者・作曲家として数々の協奏曲や宗教音楽を手がけ、音楽理論にも造詣が深かった。
自作の『ヴァイオリン教本』は当時の演奏教育に大きな影響を与えました。
息子ヴォルフガングと娘ナンネルを音楽界へ導き、彼らの才能を欧州各地に広めるための演奏旅行を主導。
家族を支えつつ自身も作曲活動を続け、音楽史における教育者として高い評価を受けています。
1787年
レオポルト・モーツァルト
作曲家
1719年
作曲家
作曲家
イタリア出身のチェリスト兼作曲家。優雅な室内楽作品で知られる古典派の巨匠です。
1743年にリボルノで生まれ、若くしてチェロの名手として注目される。
室内楽、とくに弦楽五重奏曲作品で高い評価を博し、ミニュエットの美しい旋律が後世に愛される。
1770年代以降はスペイン宮廷に招かれ、多くの作品をマドリードで作曲。
チェロ協奏曲や交響曲にも取り組み、当時の貴族社会に娯楽音楽を提供しました。
優雅で洗練された作風は古典派音楽の一翼を担い、現在も世界中で演奏され続けています。
1805年
ルイジ・ボッケリーニ
1743年
スウェーデン王太子
スウェーデン王太子
スウェーデンの王太子として迎えられたホルシュタイン=ゴットルプ家出身の皇族。悲劇的に早世しました。
1768年にホルシュタイン=ゴットルプ公子として生まれる。
1809年のスウェーデン革命後にギュスターヴ3世から王位継承者に指名され、カール13世と共同治世の形態となる。
しかし1810年に肺病などの病により急逝し、後継者問題が再び混乱を招きました。
彼の死は後にフランスのナポレオン戦争帰還兵であったベルナドット家の後継者選定につながる一因となる。
短い期間ながらスウェーデン王室の転換期に関わった歴史的存在です。
1810年
カール・アウグスト
スウェーデン
1768年
松江藩藩主、茶人
松江藩藩主
茶人
松江藩主として藩政に取り組む一方、茶人として『不昧流』を確立した文化人です。
1751年に生まれ、松江藩の第7代藩主として藩政改革を推進。
経済再建や治水事業に取り組むかたわら、茶道にも深く傾倒しました。
『不昧流茶道』を確立し、多くの茶道具を収集しながら独自の美意識を展開。
著作に『茶湯一会集』などがあり、茶論を通じて文化交流を活性化。
藩主としての行政手腕と茶人としての美学を両立させたその生涯は、江戸時代の文化史に輝きを残しています。
1818年
文政
4月24日
松平治郷
松江藩
茶人
1751年
漂流者
漂流者
江戸時代の漂流者。漂流の末ロシアに渡り、帰国後は西洋事情を紹介しました。
1751年、現在の伊勢国で生まれる。1778年、乗船中に漂流しアリューシャン列島経由でカムチャツカへ到達。その後サンクトペテルブルクでエカチェリーナ2世やパーヴェル1世に仕え、通訳として活躍しました。1792年に幕府の命で日本へ帰国し、『漂流記』を幕府に献上。日本とロシアの文化交流に寄与した人物です。
1828年
4月15日
大黒屋光太夫
1751年
辞書編纂者
辞書編纂者
アメリカ英語の辞書を編纂し、標準化を推進した辞書編集者。
1758年にコネチカット州で生まれ、イェール大学で学びました。弁護士や教師を経て教育教材の執筆に携わり、1828年に『アメリカ英語辞典』を初版刊行。綴りや発音の統一を図り、アメリカ英語の発展に大きく貢献しました。『ウェブスター辞典』の名で現在まで広く親しまれています。
1843年
ノア・ウェブスター
辞書
1758年