1923年

第1回ル・マン24時間レースが開催。

世界最古の耐久レース、ル・マン24時間レースがフランスで初めて開催されました。
1923年5月26日、フランスのサルト・サーキットで第1回ル・マン24時間レースが行われました。 3台の車両が参加し、長時間走行と燃費を競う新しいフォーマットが注目を集めました。 主催者は自動車技術の進歩促進を目的としており、レースはメーカーの実験場ともなりました。 大会は初回ながら多くの観客を動員し、その後ル・マンは自動車レースの頂点を目指す伝統的なイベントとなりました。 現在でも耐久レースの最高峰として世界中から注目を集め続けています。
1923年 ル・マン24時間レース
1937年

双葉山定次が第35代横綱に昇進。

双葉山定次が史上35人目の横綱に昇進しました。後に69連勝という大記録を樹立する名横綱です。
1937年5月26日、力強い取り口と端正な風貌で人気を博していた双葉山定次が横綱に昇進しました。彼は1935年に初土俵を踏み、瞬く間に大関にまで昇り詰めた天才力士でした。横綱昇進後は驚異的な強さを見せ、1936年から翌年にかけて69連勝を記録し、未曽有の記録を打ち立てます。戦後を通じて相撲人気の復興にも大きく貢献し、日本国民に長く愛され続けました。引退後は部屋を持ち、多くの門弟を育成するなど相撲界に多大な影響を残しました。
1937年 双葉山定次 横綱
1959年

IOC総会で1964年のオリンピックの開催地が東京に決定。

IOC総会において1964年夏季オリンピック開催地が東京に決定し、日本の戦後復興を世界に示す契機となりました。
1959年5月26日、ミュンヘンで開かれたIOC総会において、東京が1964年夏季オリンピックの開催地に選ばれました。東京はデトロイトなどのライバル都市を破り、アジア初の開催権を獲得しました。開催決定は高度経済成長期の日本に国際的信頼をもたらし、大規模な都市インフラ整備や新交通システムの整備計画が始動しました。大会では新幹線の開通や高速道路網の整備が進み、戦後復興と技術力のアピールに成功します。結果として大会は世界中から高く評価され、その後の国際大会招致や都市開発のモデルとなりました。
1959年 IOC 1964年のオリンピック 東京
1963年

横綱・大鵬が大相撲史上初の6場所連続優勝。

1963年5月26日、横綱大鵬が6場所連続優勝を果たし、大相撲史上初の快挙を達成しました。
大相撲界を席巻した横綱・大鵬は、1963年春場所から6場所連続で優勝タイトルを獲得。 当時としては前例のない連勝記録であり、彼の圧倒的な技術と精神力が光りました。 大鵬の力強い寄り切りや突き押しは多くのファンを魅了し、相撲人気の爆発的な高まりに貢献。 この記録はその後の横綱たちの目標ともなり、大相撲の歴史における金字塔となりました。 大鵬自身は「相撲の神様」と称され、その後も相撲界に大きな影響を与え続けました。
1963年 大鵬 大相撲
2008年

三浦雄一郎が75歳7か月の史上最年長でエベレストに登頂。

2008年5月26日、75歳7か月の三浦雄一郎がエベレスト登頂に成功し、史上最年長記録を樹立した。
2008年5月26日、75歳7か月の三浦雄一郎がエベレスト登頂に成功し、史上最年長記録を更新した。 彼は過去に70歳での登頂を果たしており、高齢者の挑戦として世界的に注目された。 登山隊は厳しい高山病と天候不良に苦しみながらも頂上を目指した。 この快挙は高齢者の健康維持や生涯挑戦の象徴となり、多くの反響を呼んだ。 記録達成後、国内外のメディアで広く報道された。
2008年 三浦雄一郎 エベレスト
2012年

竹内洋岳がヒマラヤ山脈のダウラギリに登頂し、日本人としてはじめてヒマラヤ山脈の8000メートル級の山14峰をすべて登頂。

2012年5月26日、竹内洋岳がダウラギリ登頂で日本人初の8000m峰14座完全制覇を達成した。
2012年5月26日、登山家・竹内洋岳がヒマラヤ山脈のダウラギリ(8,167m)に登頂した。 これにより日本人として初めて8000メートル峰14座の完全制覇を達成した。 竹内は積雪状況や高度順応の難しさを乗り越え、小規模パーティーで挑戦を続けた。 この偉業は世界の高峰登山史に新たな金字塔を打ち立てた。 完全制覇の偉業は日本の登山界に大きな刺激と感動を与えた。
2012年 竹内洋岳 ダウラギリ