1828年

ドイツ・ニュルンベルクで、16歳まで牢獄に閉じ込められていたカスパー・ハウザーが発見・保護される。

約16年間閉じ込められていた謎の人物カスパー・ハウザーが発見され、その不思議な生い立ちが世間の関心を集めました。
1828年5月26日、ドイツのニュルンベルク郊外で16歳のカスパー・ハウザーが突然現れ、市民に助けられ保護されました。 彼の体には長期間にわたる監禁の痕跡が認められ、生い立ちについては一切不明のままでした。 当時のドイツ各地ではこの謎の青年に関する憶測が飛び交い、貴族の隠し子説などさまざまな説が唱えられました。 ハウザーは後に作家や歴史家の関心を引き、彼の手記や証言が公表されることでミステリーとして語り継がれることになります。 その後の人生は司法や研究者の調査対象となり、今なお多くの謎を残しています。
1828年 ドイツ ニュルンベルク カスパー・ハウザー
1933年

鳩山一郎文部大臣が滝川幸辰京都大学法学部教授を自由主義思想を理由に強制免官、教授団と学生による抵抗運動に発展。(滝川事件)

鳩山一郎文部大臣が京都大学教授・滝川幸辰を自由主義思想を理由に免官したことで、教授団と学生による抵抗運動が起こった滝川事件が発生しました。
1933年5月26日、文部大臣鳩山一郎は京都大学法学部の滝川幸辰教授を官制的教育敵視の一環として強制免官しました。これに反発した京都大学の教授団と学生は学園自治を守るための抗議集会や声明を発表し、全国的な支援運動へと発展しました。事件は政府の教育介入と学問の自由の衝突として注目を集め、知識人やメディアで大きく報道されました。最終的に滝川教授は職を解かれたまま退職となり、大学側にも大きな萎縮効果をもたらしました。この事件は戦前日本における学問の自由と国家統制の緊張関係を象徴しています。
1933年 鳩山一郎 文部大臣 滝川幸辰 京都大学 法学部 教授 自由主義 滝川事件