推古天皇7年4月27日

『日本書紀』に日本最古の地震による被害状況の記録。(推古地震)

日本最古の地震被害を『日本書紀』に記録した出来事です。
『日本書紀』に記された推古地震の記録で、国内最古の地震被害報告とされます。 当時の詳細な被害状況を伝え、古代日本の自然災害認識をうかがわせます。 歴史学や地震学の研究資料としても価値が高く、後世の史書にも引用されました。 この記録が、日本における地震学史の出発点となっています。 自然災害の歴史を知る上で欠かせない史料です。
599年 推古天皇 4月27日 日本書紀 地震による被害状況 推古地震
慶応3年4月23日

いろは丸沈没事故。

土佐藩の軍艦「いろは丸」が沈没し、維新期海軍形成の試練となった事故です。
1867年5月26日(慶応3年4月23日)、土佐藩の軍艦「いろは丸」が紀伊水道で沈没しました。 当日は物資や兵士が搭載され、訓練中に座礁したことで事故が始まりました。 その後、同じく藩船「明光丸」と衝突したことが判明し、多くの物資が海底に沈みました。 交渉役となった勝海舟は清水港で談判し、賠償金を獲得することで藩の財政危機を回避しました。 この沈没事故は、日本近代海軍の礎を築く中で直面した初期の試練として歴史に記録されています。
1867年 いろは丸
1983年

日本海中部地震発生。

1983年5月26日、日本海中部でM7.7の巨大地震が発生し、大規模な津波や建物被害を引き起こしました。
地震の震源地は日本海中部で、深さ約23km、マグニチュード7.7を観測。 新潟県や山形県沿岸部では最大で約3mの津波が押し寄せ、多くの集落が浸水。 死者・行方不明者は百名以上、建物被害も数千棟に及びました。 防災対策の遅れが課題となり、後の津波観測網整備や避難計画策定に影響。 この災害は日本海側の地震・津波対策強化の契機となりました。
1983年 日本海中部地震
1990年

東京都板橋区の第一化成工業の工場で爆発事故。死者8人。

1990年5月26日、東京都板橋区の第一化成工業工場で大規模な爆発事故が発生し、8人の犠牲者を出した。
1990年5月26日、東京都板橋区の第一化成工業工場で爆発が発生した。 爆発の原因は当時調査中とされているが、化学薬品の管理不備が影響した可能性がある。 衝撃で工場建屋が大きく損壊し、近隣住民にも被害が及んだ。 この事故で8人が命を落とし、多数が負傷した。 後に化学工場の安全基準が見直され、再発防止策が強化された。
1990年 東京都 板橋区
1991年

ラウダ航空004便墜落事故。

1991年5月26日、ラウダ航空004便がタイ上空で墜落し、乗員・乗客223名全員が亡くなった。
1991年5月26日、タイ北部上空を飛行中のラウダ航空004便(ボーイング767-300)が墜落した。 フライト中のエンジン逆噴射装置の誤作動が原因とされ、機体が制御を失った。 墜落により乗員・乗客223名全員が即死し、民間航空史上最悪級の事故となった。 この事故は航空機のエンジン逆噴射機構の安全設計見直しと運航マニュアルの改訂を促した。 調査報告書は運航会社と製造メーカーの両者に安全管理強化を求める結果となった。
1991年 ラウダ航空004便墜落事故
2003年

三陸南地震発生。

2003年5月26日、三陸南部を震源とするマグニチュード7.0の地震が発生し、津波被害も報告された。
2003年5月26日午前3時50分頃、三陸南部を震源とするマグニチュード7.0の地震が発生した。 最大震度6強を観測し、沿岸部では津波が押し寄せた。 建物や道路などのインフラが大きく損壊し、負傷者も数十名に上った。 三陸地域は地震・津波多発地帯として知られ、防災意識が改めて高まった。 この地震を契機に、津波警報システムと避難訓練が強化された。
2003年 三陸南地震