天平勝宝4年4月9日
東大寺盧舎那仏像の開眼供養。
東大寺盧舎那仏像の開眼供養式が行われました。
752年天平勝宝4年4月9日、奈良・東大寺で盧舎那仏像の開眼供養が執り行われました。
開眼供養とは仏像に魂を吹き込む儀式で、当時の宗教儀礼の重要な行事です。
聖武天皇の発願により造立されたこの大仏は、東大寺の象徴として知られます。
供養には多くの僧俗が参列し、盛大な法要が展開されました。
この儀式は奈良時代の仏教文化を象徴する出来事として後世に語り継がれています。
752年
天平勝宝
4月9日
東大寺盧舎那仏像
建長5年4月28日
日蓮が安房国小湊浦の清澄山山頂で集まった大衆に初めて法華の教えを説く。(立教開宗)
日蓮が清澄山山頂で初めて法華の教えを説きました。
1253年、鎌倉時代の日蓮は安房国小湊浦の清澄山頂で法華経の教えを初めて説き、大衆を前に布教を開始しました。
この出来事は立教開宗と呼ばれ、日蓮宗の開宗儀式として重要視されます。
日蓮は「南無妙法蓮華経」の題目を唱え、救済の教えを説きました。
彼の熱烈な布教活動は後に日蓮宗の発展につながります。
日本仏教の一派として法華宗の礎を築く重要な出発点です。
1253年
建長
4月28日
日蓮
法華
1897年
ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』が発刊される。
ゴシックホラーの金字塔『吸血鬼ドラキュラ』が刊行され、後のホラー文化に大きな影響を与えました。
1897年5月26日、アイルランド出身の作家ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』がロンドンで刊行されました。
トランシルヴァニアの吸血鬼伯爵ドラキュラを描くゴシックホラーで、多くの読者を魅了しました。
日記や手紙、新聞記事の引用という革新的な構成が評価され、文学史に残る作品となりました。
刊行後すぐに世界的ベストセラーとなり、映画や舞台、漫画など多くのメディア化を生み出しました。
吸血鬼伝承を現代に蘇らせた本作は、その後のホラー文学や映像作品に大きな影響を与え続けています。
1897年
ブラム・ストーカー
吸血鬼ドラキュラ
1916年
朝日新聞で夏目漱石最後の作品『明暗』が連載開始。
文豪夏目漱石の遺作となった長編小説『明暗』が朝日新聞で連載を開始しました。
1916年5月26日、朝日新聞の紙上で夏目漱石の最後の長編小説『明暗』の連載が始まりました。
漱石は当時63歳で、人間関係や内面心理を深く描き出した現代小説の傑作とされています。
連載中に体調を崩し、未完のままこの世を去ったため、結末は謎のまま残されました。
『明暗』は戦前日本文学の到達点とも評され、その後の小説家にも大きな影響を与えました。
現在でも文学研究や読書会で取り上げられる名作として親しまれています。
1916年
朝日新聞
夏目漱石
明暗
1942年
日本文学報国会設立。
戦時下の日本で文学者を統合し戦意高揚を図るため、日本文学報国会が設立されました。文学の国家動員化が進められました。
1942年5月26日、政府の肝いりで日本文学報国会が発足しました。作家や評論家を会員として迎え、戦争遂行に寄与する文学創作を奨励しました。会の運営には検閲や出版指導が伴い、政府方針に反する表現は厳しく制限されました。発表された作品は戦意高揚や国粋主義的なテーマが中心となり、文学界の自主性は大きく制約されました。戦後には解体されますが、言論統制の一端を担った組織として歴史的な問題を残しました。
1942年
日本文学報国会
2011年
ユネスコの「世界の記憶」に、山本作兵衛作の「筑豊炭鉱画」(絵画と日記の計697点)が登録決定。日本で初めての登録。
2011年5月26日、山本作兵衛の「筑豊炭鉱画」がユネスコ「世界の記憶」に日本人初で登録された。
2011年5月26日、ユネスコ「世界の記憶」に山本作兵衛の「筑豊炭鉱画」(絵画と日記計697点)が登録決定された。
これは日本人として初の登録で、炭鉱労働者の生活や歴史を記録した貴重な資料である。
山本は自身の体験を基に迫真のタッチで採炭や坑内作業の様子を描写した。
登録後、筑豊地域の産業史や地域文化の価値が再評価される契機となった。
この決定は労働史研究や産業遺産保存の重要性を国内外に示した。
2011年
ユネスコ
世界の記憶
山本作兵衛