慶長20年4月28日

大坂夏の陣が開戦。

1615年5月25日、豊臣氏を討つため徳川家康率いる幕府軍が大坂城攻撃を開始し、大坂夏の陣が開戦しました。
大坂夏の陣は、冬の陣での講和が破綻した後に勃発した一連の攻防戦です。 5月25日に徳川家康率いる幕府軍が大坂城への総攻撃を開始し、豊臣方との激しい戦闘が繰り広げられました。 城外戦では槍や鉄砲隊が衝突し、多くの死傷者を出しました。 6月には大坂城が陥落し、豊臣秀頼は自刃、豊臣家は滅亡しました。 この戦いにより江戸幕府の全国支配が確立し、戦国時代に終止符が打たれました。
1615年 慶長 4月28日 大坂夏の陣
1810年

アルゼンチン(当時はリオ・デ・ラ・プラタ副王領)のブエノス・アイレスで五月革命が起こる。

1810年5月25日、ブエノス・アイレスでスペインからの自治を求める五月革命が勃発しました。
五月革命は南米リオ・デ・ラ・プラタ副王領での独立運動の始まりです。 5月25日に市民や軍がレボルシオン広場を占拠し、スペイン総督の解任を宣言しました。 これにより副王領は事実上スペイン本国の支配から自立し、臨時政府が樹立されました。 平和的な革命とされますが、その後の紛争が独立戦争へと発展し、1825年に正式にアルゼンチンが独立します。 ラテンアメリカの独立運動全体に大きな影響を与えた歴史的重要事件です。
1810年 アルゼンチン リオ・デ・ラ・プラタ副王領 ブエノス・アイレス 五月革命
1945年

第二次世界大戦・日本本土空襲: B29爆撃機470機が東京を空襲し、山手の都区部の大部分を焼失。死者3651人。また、この空襲で天下三名槍の一つ、御手杵が焼失した。

B-29爆撃機による大規模な東京空襲が行われ、多数の市街地が焼失しました。
1945年5月25日夜、アメリカ軍のB-29爆撃機約470機が東京山手地区を襲撃しました。 延焼により都区部の広範囲が焼失し、死者は3,651人に上りました。 都市機能は壊滅的な打撃を受け、多くの民間人が避難生活を余儀なくされました。 また、戦国時代の名槍「御手杵」がこの空襲で焼失したことでも知られています。 この攻撃は日本本土空襲の中でも被害規模の大きいものの一つとして記録されています。
1945年 第二次世界大戦 日本本土空襲 東京を空襲 天下三名槍 御手杵
1953年

アメリカ合衆国が、史上初かつこれまでで唯一の核砲弾の実射試験を行う。

史上初の核砲弾実射試験がアメリカで実施された歴史的な瞬間です。
1953年5月25日、アメリカ合衆国は「Grable(グレイブル)」と呼ばれる核砲弾の実射試験をネバダ州の試験場で実施しました。この試験では戦車砲の砲身に核弾頭を装着し、実際に発射・爆発させる手法が採用されました。核砲弾はその後再び実射試験されることはなく、史上唯一の実験として知られています。実験は冷戦期における核兵器開発競争の一環として行われ、戦術核兵器の可能性を示す試みでした。その後の核軍縮交渉や戦略構想に影響を与えた歴史的出来事です。
1953年 核砲弾
1954年

写真家ロバート・キャパがインドシナ戦争取材中に地雷に触れて爆死。

写真家ロバート・キャパがインドシナ戦争取材中に地雷事故で命を落としました。
1954年5月25日、写真家ロバート・キャパはインドシナ戦争の取材中に地雷を踏んで即死しました。キャパは第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦やスペイン内戦での戦場写真で世界的に著名な写真家です。最前線から戦争の実態を伝えるドキュメンタリー写真のパイオニアとして高く評価されていました。彼の死は戦場報道の危険性を改めて浮き彫りにし、戦争写真の価値とリスクに注目を集めました。現在でも彼の作品は国際的な写真史において欠かせないものとなっています。
1954年 ロバート・キャパ
1959年

戦後初の国産潜水艦おやしおが進水式。

戦後初の国産潜水艦「おやしお」の進水式が行われました。
1959年5月25日、戦後初の国産潜水艦「おやしお」の進水式が行われました。当艦は技術研究本部で設計され、国内造船所で建造された初の戦術潜水艦です。排水量や潜航能力の向上により海上自衛隊の潜水艦戦力を強化しました。その後の潜水艦開発の基礎を築いた重要な艦として評価されています。「おやしお型」は現在でも後継艦に受け継がれています。
1959年 おやしお
1982年

フォークランド紛争: イギリス海軍の駆逐艦コヴェントリーがアルゼンチン軍機の攻撃により沈没。

フォークランド紛争において、英海軍駆逐艦HMSコヴェントリーがアルゼンチン軍機の攻撃で沈没した。
1982年5月25日、フォークランド紛争中のイギリス海軍駆逐艦HMSコヴェントリー(D118)がアルゼンチン空軍のA-4スカイホーク攻撃を受けて沈没しました。 同艦は対空防御任務に就いていましたが、敵機の低空爆撃を受け、火災と構造損傷により航行不能となりました。 乗組員238名のうち19名が戦死、171名が救助されましたが、この損失は英国海軍にとって大きな衝撃となりました。 コヴェントリーの沈没はイギリス軍にとって初の大規模戦闘損失の一つであり、その後の作戦遂行に影響を与えました。 同紛争は約10週間後に停戦し、フォークランド諸島の帰属問題はその後も国際的な関心を集め続けています。
1982年 フォークランド紛争 コヴェントリー
2000年

レバノン内戦: レバノン南部を22年間占領していたイスラエル軍が撤退。

2000年5月25日、レバノン南部を22年間占領していたイスラエル軍が完全撤退しました。
1982年に始まったレバノン内戦ではイスラエル軍が南部を占領していました。 2000年5月25日、国際圧力と武装勢力の抵抗を受け、イスラエルは最後の部隊を撤退させました。 撤退によりレバノン政府の主権回復が進む一方で、ヒズボラなど武装組織の影響力が強まりました。 この出来事は中東和平プロセスの重要な転機とされ、地域の緊張緩和に一役買いました。 同時にレバノン国内の政治体制や治安再建への課題も浮き彫りとなりました。
2000年 レバノン内戦 レバノン
2009年

北朝鮮が、2006年以来3年振り2回目の核実験を強行する。

2009年5月25日、北朝鮮が3年ぶり2回目の核実験を強行しました。
北朝鮮は2006年に初の核実験を実施した後、国際社会の制裁を受けていました。 2009年5月25日午後、咸鏡北道豊渓里で再び核実験を実施したと発表しました。 実験の規模は第1回に比べて小さいものの、技術的進歩を示唆しました。 国連安全保障理事会は即座に非難決議を採択し、制裁強化へと動き出しました。 この挑発行動は朝鮮半島情勢の緊張を一層高め、周辺国の安全保障環境に大きな影響を与えました。
2009年 北朝鮮 2006年 核実験