1899年

山陽鉄道(現・山陽本線)が運行した京都 三田尻(現・防府)間の列車に日本初の食堂車が連結。

山陽鉄道の列車に日本初の食堂車が連結され、長距離列車の快適性が向上しました。
1899年5月25日、山陽鉄道が運行した京都~三田尻間の列車に初の食堂車を連結しました。 これにより乗客は移動中に食事をとることが可能となり、長距離鉄道旅行の利便性が大きく向上しました。 食堂車は食材や調理設備を備え、駅に停車することなくサービスを提供する画期的なアイデアでした。 当時の日本ではまだ珍しかった列車内サービスの先駆けとなり、その後他の路線にも普及していきました。 鉄道旅行文化の発展に寄与した歴史的な出来事です。
1899年 山陽鉄道 山陽本線 京都 防府 食堂車
1968年

篠栗線篠栗 桂川が開通し、篠栗線が全線開通。

篠栗線の篠栗~桂川間が開通し、路線が全線つながりました。
1968年5月25日、篠栗線の篠栗駅から桂川駅までの区間が開通し、路線が全線開通しました。これにより福岡市内と北九州市への鉄道アクセスが強化され、地域の物流や通勤利便性が向上しました。建設には山間部を貫くトンネルや橋梁が多数用いられ、土木技術の挑戦でもありました。開通後、沿線の都市開発が促進され、居住・商業エリアの活性化に寄与しました。現在でも地元住民の重要な交通手段として親しまれています。
1968年 篠栗線 篠栗 桂川
1976年

新幹線の乗客数が10億人を突破。

新幹線は開業12年目にあたる1976年5月25日、累計乗客数10億人を突破した。
1964年に東海道新幹線として営業運転を開始した新幹線は、高速鉄道の先駆けとして注目を集めました。 1976年5月25日、開業から約12年で累計乗客数が10億人に到達し、世界的にも類を見ない速さでの記録達成となりました。 この実績は鉄道輸送の安定性と速達性が広く受け入れられた結果であり、以降の路線拡大や高速化計画の後押しともなりました。 新幹線システムは日本の技術力の象徴となり、国際輸出や他国の高速鉄道開発にも大きな影響を与えました。 現在も新幹線は安全性と定時制の高さで評価され続けています。
1976年 新幹線
2002年

南海和歌山港線の末端部分和歌山港駅 水軒駅間が最終運行。翌5月26日廃止。

2002年5月25日、南海和歌山港線の和歌山港駅-水軒駅間が最後の運行を迎え、翌日に廃止されました。
南海和歌山港線は和歌山県の港と市街地を結ぶ路線でした。 2002年5月25日、この路線の末端区間である和歌山港駅から水軒駅間が最後の列車を運行しました。 沿線の利用者減少と維持費負担を理由に、翌5月26日に正式廃止となりました。 地域住民には歴史ある路線の喪失として惜しまれ、多くの記念イベントが開催されました。 現在、この廃線跡は散策路や観光資源として再利用されています。
南海和歌山港線 和歌山港駅 水軒駅 5月26日