治承4年4月27日
伊豆・蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が、以仁王の平家追討令旨を伝えられる。
流罪中の源頼朝が以仁王から平家討伐の勅命を受け、後の挙兵に向けて大きな一歩を踏み出した日です。
治承4年(1180年)4月27日、後白河法皇の第三皇子・以仁王が平家打倒の令旨を源頼朝に伝えました。蛭ヶ小島に流罪中の頼朝はこれを受け、東国の武士団に蜂起を呼びかけます。この勅命が源平合戦の発端となり、日本史の大きな転換点となりました。以仁王の令旨は中央政権の意志を示す象徴的な出来事です。
1180年
治承
4月27日
源頼朝
以仁王
建暦3年5月2日
和田合戦。和田義盛と北条義時が鎌倉で合戦。三浦義村が北条方に味方したため、勝負は2日で決し、和田氏が滅亡した。
鎌倉幕府内の権力争いで和田氏と北条氏が激突し、和田氏が滅亡した合戦です。
建暦3年(1213年)5月2日、鎌倉で和田義盛と北条義時が衝突し、三浦義村が北条方に加担して戦況が一気に傾きました。この合戦はわずか2日で決着し、和田氏は滅亡。以降、北条氏の執権体制が一層強化され、鎌倉幕府の支配構造に大きな影響を与えました。
1213年
建暦
5月2日
和田合戦
和田義盛
北条義時
三浦義村
1430年
百年戦争: ジャンヌ・ダルクがコンピエーニュ包囲戦でブルゴーニュ軍に捕えられる。
ジャンヌ・ダルクが百年戦争の合間、ブルゴーニュ軍によって捕縛された歴史的瞬間です。
1430年5月23日、百年戦争中のコンピエーニュ包囲戦で、フランス軍を支援していたジャンヌ・ダルクはブルゴーニュ軍に捕らえられました。後にイングランドへ引き渡され、異端審問にかけられます。この捕縛はジャンヌ・ダルクの運命を大きく変え、フランス史に残る英雄譚の転機となりました。
1430年
百年戦争
ジャンヌ・ダルク
コンピエーニュ包囲戦
ブルゴーニュ
1498年
フィレンツェ共和国で神権政治を行ったジロラモ・サヴォナローラが教皇アレクサンデル6世の命により処刑。
フィレンツェで神権政治を行ったサヴォナローラが教皇の命により処刑された日です。
1498年5月23日、フィレンツェ共和国で宗教改革者ジロラモ・サヴォナローラは異端とされ、教皇アレクサンデル6世の命を受けて公開処刑されました。彼は道徳の刷新を掲げフィレンツェを統治し、『虚飾の焚書』で知られましたが、強権的な統治が反発を招き最期を迎えます。サヴォナローラの死はルネサンス期イタリアの宗教と政治の緊張を象徴する出来事です。
1498年
フィレンツェ共和国
ジロラモ・サヴォナローラ
アレクサンデル6世
1568年
オランダがスペインからの独立を宣言。八十年戦争(オランダ独立戦争)勃発。
オランダがスペインからの独立を宣言し、八十年戦争が始まった日です。
1568年5月23日、オランダの指導者ウィレム・オラニエ公らがスペイン王国からの独立を正式に宣言し、八十年戦争(オランダ独立戦争)が勃発しました。これによりオランダはカトリック支配からの脱却を目指し、後のオランダ共和国成立への道を歩みます。ヨーロッパ宗教戦争の一翼を担う重要な出来事です。
1568年
オランダ
スペイン
八十年戦争
1618年
第二次プラハ窓外投擲事件。三十年戦争の発端に。
プラハで第二次窓外投擲事件が起き、三十年戦争の火蓋が切られました。
1618年5月23日、ボヘミア貴族らがプラハ城の窓からハプスブルク帝国の宰相らを投げ落とし、いわゆる第二次プラハ窓外投擲事件が発生しました。この事件はカトリック勢力とプロテスタント勢力の対立を決定的にし、三十年戦争を引き起こす引き金となりました。ヨーロッパ史上最大級の宗教戦争の端緒です。
1618年
第二次プラハ窓外投擲事件
三十年戦争
1701年
海賊船の船長ウィリアム・キッド(キャプテン・キッド)がロンドンで絞首刑に処せられる。
海賊キャプテン・キッドがロンドンで絞首刑に処せられた日です。
1701年5月23日、かつて私掠船長として知られたウィリアム・キッド(キャプテン・キッド)は、ロンドンの執行ドックで海賊行為の罪により絞首刑に処せられました。キッドは無実を主張したものの、財宝の隠匿疑惑などを巡り有罪となりました。海洋冒険と法の狭間に生きた伝説的存在の最期を迎えた日です。
1701年
ウィリアム・キッド
1706年
スペイン継承戦争: ラミイの戦い
スペイン継承戦争中、ラミイの戦いで連合軍が大勝を収めた日です。
1706年5月23日、スペイン継承戦争下のラミイの戦いで、ジョン・チャーチル率いる英蘭連合軍がフランス軍を大破しました。この勝利により連合軍はベルギー平野の制圧に成功し、戦争の主導権を握る重要な転機となります。戦略的勝利がヨーロッパ勢力図を大きく動かしました。
1706年
スペイン継承戦争
ラミイの戦い
1788年
サウスカロライナ州がアメリカ合衆国憲法を承認し、アメリカ合衆国8番目の州となる。
サウスカロライナ州が合衆国憲法を批准し、8番目の州として加盟した日です。
1788年5月23日、南部州サウスカロライナがアメリカ合衆国憲法を批准し、第8番目の州として連邦に加盟しました。これにより新生アメリカの国家建設がさらに前進し、南部プランテーション社会の利害調整にも影響を与えました。合衆国成立期の重要な一歩です。
1788年
サウスカロライナ州
アメリカ合衆国憲法
アメリカ合衆国
1819年
シモン・ボリバルがコロンビア解放のためアンデス越え作戦を開始。
シモン・ボリバルがコロンビア解放のためアンデス越え作戦を開始した日です。
1819年5月23日、南米独立運動の指導者シモン・ボリバルは、スペイン支配下のニューグラナダ(現在のコロンビア)解放に向けて厳しいアンデス山脈越え作戦を開始しました。この大胆な遠征は高地での苦難に満ちていましたが、後のボヤカの戦いで勝利を導き、独立運動を大きく前進させました。
1819年
シモン・ボリバル
コロンビア
アンデス
1863年
フェルディナント・ラッサールが全ドイツ労働者協会を創設
フェルディナント・ラッサールがドイツ初の労働者組織『全ドイツ労働者協会』を創設し、労働運動の基盤を築いた日です。
1863年5月23日、フェルディナント・ラッサールを中心に全ドイツ労働者協会(ADAV)がベルリンで設立されました。
産業革命で拡大した労働者階級の権利向上を目的とし、政治的な手段で改革を進めることを目指しました。
ADAVは議会参加を重視し、労働者代表を送ることで社会主義政策の実現を図りました。
初期には組合活動や教育活動を通じて支持を集め、後のドイツ社会民主党の礎となりました。
この運動はヨーロッパ全土の労働運動に影響を及ぼし、社会主義政治の発展に寄与しました。
1863年
フェルディナント・ラッサール
全ドイツ労働者協会
明治3年4月23日
日本政府が鉄道敷設のため、ロンドンで初の外債を発行。
日本政府が鉄道建設資金調達のため、初の外債をロンドン市場で発行しました。
1870年4月23日(明治3年4月23日)、日本政府は鉄道敷設資金調達のため初の外債をロンドンで発行しました。
当時、政府は近代化推進の一環として鉄道網整備を急務としており、欧州資本に依存せざるを得ませんでした。
この外債は英国市場において成功を収め、日本の信用力向上に寄与しました。
調達した資金は横浜・神戸間鉄道の建設費用や関連設備の輸入に充当されました。
これにより日本は国際金融市場への扉を開き、西洋技術の導入を加速させました。
1870年
明治
4月23日
外債