1915年
カリフォルニア州のラッセン山が噴火。
1915年5月22日、カリフォルニア州のラッセン山で大規模な噴火が発生しました。
ラッセン山はカリフォルニア州北部のカスケード火山帯に属する活火山で、1914年から1917年にかけて断続的に活動しました。1915年5月22日の噴火では、火山灰や熱雲が高く噴き上がり周辺に降下し、森林や地形を大きく変えました。この噴火は大規模な火砕流を伴い、多くの地質学者や観光客の注目を集めました。翌年にはラッセン火山国立公園が設立され、現在も火山活動の観測拠点として知られています。
1915年
カリフォルニア州
ラッセン山
1917年
山形県米沢市で大火。死者11人、2300戸が焼失。
1917年5月22日、山形県米沢市で大火が発生し、2300戸以上が焼失しました。
山形県米沢市の市街地で発生したこの火災は、強風に煽られた火の手が木造家屋を次々と襲い、死者11名、2300戸以上の住宅が焼失しました。当時の消防体制では延焼を十分に食い止めることができず、被災者は避難所での生活を余儀なくされました。復興には多年を要し、地域社会に大きな影響を残しました。火災の原因は不明ですが、再建に向けた支援活動が県内外から寄せられました。
1917年
山形県
米沢市
1960年
チリ地震発生。環太平洋全域を津波が襲う。
1960年5月22日、チリ南部沖を震源とする巨大地震が発生し、環太平洋全域に津波が襲来しました。
史上最大級とされるマグニチュード9.5の地震がチリ南部バルディビア近郊で発生しました。
この地震によって生じた津波はハワイや日本、フィリピンなど太平洋沿岸諸国を襲い、大規模な被害をもたらしました。
沿岸部では高さ10メートルを超える波が観測され、港湾施設や民家が壊滅的な被害を受けました。
犠牲者は数百から数千とも言われ、復興には長い時間と多大な労力を要しました。
この災害は海底地震による津波の脅威を世界に知らしめ、津波警報システムの整備促進につながりました。
1960年
チリ地震
津波
1962年
コンチネンタル航空11便爆破事件。
1962年5月22日、コンチネンタル航空11便が離陸直後に爆発し、乗員乗客45名全員が死亡しました。
コンチネンタル航空11便はシカゴ発の国内定期便でした。
離陸直後に機体後部で爆発が起こり、飛行継続不能となりました。
爆発は機内に仕掛けられた爆弾によるものとされ、犠牲者は搭乗者45名全員に達しました。
FBIを中心に捜査が行われ、保険金目当ての計画的犯行の疑いが持たれましたが、真相は完全には解明されていません。
この事件は航空機爆破事件としては当時最悪規模の惨事となり、航空保安対策の強化が求められる契機となりました。
1962年
コンチネンタル航空11便爆破事件
1967年
ベルギー・ブリュッセルのイノバシオンデパートで火災。死者322人。
1967年5月22日、ブリュッセルのイノバシオン百貨店で大規模火災が発生し、322人が亡くなりました。
火災はイノバシオン百貨店の建物内で発生し、瞬く間に延焼しました。
老朽化した建築構造と避難経路の不備が被害を拡大させ、多くの来店客が閉じ込められました。
消防隊の消火活動は困難を極め、犠牲者は322人に達しました。
この惨事はベルギー史上最悪級の火災事故とされ、防火基準や緊急避難体制の見直しを促す契機となりました。
被害者追悼の碑が後に現場近くに建立されました。
1967年
ベルギー
ブリュッセル
イノバシオンデパートで火災
英語版
1968年
99人が乗ったアメリカ海軍の原子力潜水艦「スコーピオン」が演習からの帰途に消息を絶つ。後に破壊された船体が発見される。
1968年5月22日、米海軍原子力潜水艦USSスコーピオンが消息を絶ち、乗員99名全員が失われました。
USSスコーピオンはスキップジャック級原子力潜水艦で、演習を終えた帰途に連絡が途絶えました。
数ヶ月にわたる捜索の末、海底で船体が深度3000m付近に沈没しているのが発見されました。
復元調査の結果、船体は内圧の急激な変化によって崩壊したと推定されました。
事故原因は公式には不明とされ、海軍内外で様々な憶測を呼びました。
乗組員99名は全員行方不明のままとなり、海洋史上の謎の一つとして語り継がれています。
1968年
アメリカ海軍
スコーピオン