1931年
劇団前進座結成。
1931年5月22日、伝統演劇を継承・発展させる劇団前進座が結成されました。
劇団前進座は新派や歌舞伎の流れを汲みつつ、新劇運動の精神を取り入れて創設されました。結成以来、古典から現代劇まで幅広い作品を上演し、地方巡演や海外興行を通じて日本演劇の魅力を広めました。メンバーには多くの俳優やスタッフが参加し、演出や舞台美術にも定評があります。戦後は映画やテレビへの出演も増え、文化・芸術の分野で重要な役割を果たし続けています。
1931年
前進座
1980年
ナムコがアーケードゲーム『パックマン』を発表。
ナムコが開発したアーケードゲーム『パックマン』が初めて発表された日です。
1980年5月22日、ナムコがアーケードゲーム『パックマン』を発表しました。
ゲームデザイナー岩谷徹が開発し、丸い主人公が迷路を舞台にゴーストと追いかけっこを繰り広げる斬新なゲームシステムが話題を呼びました。
日本国内のみならず北米市場でも爆発的な人気を獲得し、アーケードゲームの歴史を塗り替える大ヒットシリーズとなりました。
キャラクターの多彩な動きやサウンド、難易度設定の巧みさは後のゲーム開発にも多大な影響を与えました。
現在までに多くの続編やスピンオフが生まれ、ゲーム文化を代表するアイコンとして世界中で愛され続けています。
1980年
ナムコ
パックマン
1992年
映画監督の伊丹十三が、映画『ミンボーの女』に反発した暴力団員に自宅前で斬られる。
映画『ミンボーの女』を巡り、伊丹十三監督が暴力団員に襲撃された事件です。
1992年5月22日、映画監督の伊丹十三が自身の作品『ミンボーの女』に反発した暴力団員に自宅前で襲われました。
同作品ではヤクザの実態を皮肉を込めて描写しており、関係者の逆鱗に触れたとされます。
伊丹監督は背中など数か所を切りつけられたものの重傷は免れ、病院で手当を受けました。
事件は映画界や表現の自由に警鐘を鳴らし、暴力団排除運動の機運を高める契機となりました。
伊丹監督はその後も精力的に作品を発表し続けました。
伊丹十三
ミンボーの女
1992年
ジョニー・カーソンが、30年間務めた『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン』の司会をこの日の放送をもって降板。
『ザ・トゥナイト・ショー』司会者ジョニー・カーソンが30年の歴史に幕を下ろした日です。
1992年5月22日、アメリカの深夜番組『ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン』でジョニー・カーソンが最後の司会を務めました。
1957年に番組を引き継いで以来、約30年間にわたり深夜トークショーの第一人者として君臨。
ウィットに富んだトークとコメディアンたちとの掛け合いが人気を博し、番組は高い視聴率を維持しました。
カーソン降板後、ジェイ・レノが後任を務め、アメリカの深夜番組文化は大きな転換点を迎えました。
この節目はテレビ界における"ゴールデン・エイジ"の終焉とも評されました。
ジョニー・カーソン
ザ・トゥナイト・ショー・スターリング・ジョニー・カーソン
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