1667年

アレクサンデル7世

(1599 - 1667)

第237代ローマ教皇

第237代ローマ教皇
17世紀にローマ教皇を務めた教皇。 バロック芸術の庇護者として知られる。
1599年にイタリアの貴族チャイーノ家に生まれ、1655年に教皇に選出された。 治世中はジャン・ロレンツォ・ベルニーニら芸術家を庇護し、バロック建築や美術の発展に大きく寄与。 教会の財政再建や宗教裁判の運営にも力を入れ、カトリック教会の改革を推進した。 外交面ではスペイン王家やフランス王家との調停を図り、ヨーロッパ諸国との緊張緩和に努めた。 かつては教皇庁の腐敗を是正しようと試みたが、身内への優遇措置(ネポティズム)も批判された。 1667年に死去し、ローマのサン・ピエトロ大聖堂で埋葬された。
1667年 アレクサンデル7世 ローマ教皇 1599年
1760年

イスラエル・ベン・エリエゼル

(1700 - 1760)

ユダヤ教のラビ

ユダヤ教のラビ
ユダヤ教ハシディズム運動の創始者であるラビ。
1700年頃、ウクライナのユダヤ人家庭に生まれ、若くしてタルムード研究に傾倒した。 行脚の旅を通じて民衆の悩みを聞きながら教えを広め、1740年代にハシディズム運動を興した。 彼は祈りや賛美を重視する信仰実践を説き、従来の律法中心主義に対し内面的な霊性を強調した。 多くの弟子が各地にコミュニティを築き、その信仰は死後も継承されて世界中に広がった。 今日、ハシディズム派はユダヤ教の重要な一派として存続している。
1760年 イスラエル・ベン・エリエゼル ユダヤ教 ラビ 1700年
1937年

海老名弾正

(1856 - 1937)

思想家、牧師

思想家 牧師
日本のキリスト教牧師・思想家。プロテスタント神学の普及に尽力しました。
海老名弾正(Ebina Danjō)は1856年に日本で生まれ、プロテスタント教会の牧師として伝道活動に従事しました。 アメリカへ留学し神学を学んだ後、帰国して教会の設立や神学校の運営に関わり、日本におけるキリスト教教育の礎を築きました。 また、キリスト教思想と日本文化の融合を試み、独自の神学論を展開しました。 その著作や講演は宗教や教育界に影響を与え、多くの信徒や学生に支持されました。 1937年に没し、その人生と業績は日本の近代宗教史において重要な一章を成しています。
1937年 海老名弾正 思想家 1856年