皇極天皇2年4月28日

皇極天皇が、大和国飛鳥板蓋宮に都を遷される。

皇極天皇が飛鳥板蓋宮に遷都し、飛鳥時代の政治体制が整えられた重要な転換点です。
643年、皇極天皇は飛鳥板蓋宮への遷都を決定しました。 新都は大和国飛鳥地方に位置し、政治・儀礼の中心地として整備されました。 これにより朝廷の統治機構が刷新され、律令制の先駆けとなる制度改革が進められました。 飛鳥板蓋宮は後の飛鳥浄御原宮へと引き継がれ、飛鳥時代の政治文書や法令が次々と制定されました。 日本の古代国家体制の基礎が築かれた歴史的な出来事です。
643年 皇極天皇 4月28日 板蓋宮
宝徳元年4月29日

足利義政が室町幕府第8代将軍に就任。

足利義政が室町幕府第8代将軍に就任し、東山文化の基礎が築かれました。
1449年、将軍足利義政が8代将軍に就任しました。 父義教の暗殺後、わずか8歳で政務を担うこととなり、守護大名との折衝が続きました。 義政は文化面での薫陶を受け、のちの東山文化を育む基盤を形成します。 政治的には応仁の乱の遠因ともなる荘園領主との抗争が深刻化しました。 その治世は武家政権の揺らぎと芸術文化の花開きを同時に象徴する時代です。
1449年 宝徳 4月29日 足利義政 将軍
1674年

ポーランド国王・リトアニア大公に選出されたヤン・ソビェスキ(ヤン3世)が即位。

ヤン3世がポーランド・リトアニア連合の国王兼大公に即位しました。
1674年、選挙王制によってヤン・ソビェスキがポーランド王に選出され、即位しました。 彼はリトアニア大公としても戴冠し、連合国家を統治する重責を担いました。 即位前は軍人としてトルコ軍との戦いで勇名を馳せ、ハンガリーやモルドバ遠征で活躍しました。 王としては貴族制限と軍制改革を推進し、国内統治の安定化を図りました。 後にウィーン救援でオスマン帝国の進攻を退けた英雄王として知られます。
1674年 ポーランド国王 リトアニア ヤン3世
1953年

第5次吉田内閣が発足。

1953年、吉田茂が首相を務める第5次内閣が発足し、戦後日本の復興政策を継続しました。
1953年5月21日、衆議院での混乱を経て第5次吉田内閣が成立。 吉田茂は日本自由党を母体に、保守合同後の新自由党を率いて首相に再任。 政府は朝鮮戦争特需の収束に対応しつつ、経済安定と自衛隊問題を重点課題に。 社会党など野党勢力との協調を図りながら、焦点となる財政再建を推進しました。 この内閣は日本の戦後政治における「吉田外交」の完成期と位置付けられます。
1953年 第5次吉田内閣
1981年

フランソワ・ミッテランがフランス第五共和政の第4代大統領に就任。

1981年、社会党出身として初の大統領となったミッテランが仏政治に新風を吹き込みました。
26年ぶりに非右派政権を樹立したミッテランは5月21日に大統領就任式を挙行。 国民議会同時選挙で多数派を得て、国民的期待が高まる中での発足。 就任直後に主要産業の国有化や労働法改正を打ち出し、国内政策に変革を追求。 外交面では冷戦下の欧州統合強化を掲げ、東西対話の促進を図りました。 1988年までの14年間にわたり、フランス政治史上最長の大統領在任記録を更新しました。
1981年 フランソワ・ミッテラン フランス第五共和政
1991年

インドのラジーヴ・ガンディー元首相がタミル過激派の爆弾テロにより暗殺される。

1991年5月21日、インド元首相ラジーヴ・ガンディーがタミル過激派の爆弾テロで暗殺されました。
インドのラジーヴ・ガンディー元首相は1984年から1989年まで在任し、経済改革や科学技術の振興に取り組みました。1991年5月21日、タミル・イーラム解放のトラを名乗る過激派組織の自爆テロにより、タミル・ナードゥ州スリペルンブドゥルで暗殺されました。爆弾は彼の胸に隠された爆発装置に装着されており、即死状態でした。この事件はインド国内に大きな衝撃を与え、テロ対策強化の契機となりました。世界各国から追悼の声が相次ぎ、インドの民主主義や治安政策にも影響を与えました。
1991年 インド ラジーヴ・ガンディー 暗殺 英語版
1998年

インドネシアのスハルト大統領が辞任。独裁政権が32年で終了。

1998年5月21日、インドネシアの長期独裁者スハルト大統領が辞任しました。
インドネシアのスハルト大統領は1967年から独裁的な新秩序体制を築き上げて国家運営を行いました。1997年のアジア通貨危機をきっかけに経済状況が悪化し、民衆の抗議運動が激化しました。1998年5月21日、抗議デモが首都ジャカルタを中心に広がる中でスハルトは辞任を表明しました。この辞任により32年間続いた権威主義体制は終焉を迎え、民主化への転機となりました。ハビビ副大統領が後任に就任し、改革開放政策が進められました。
1998年 インドネシア スハルト
2005年

日本政府が、中国団体観光客のビザ発給を中国全土に拡大する方針を固める。

2005年5月21日、日本政府が中国団体観光客向けビザ発給を全国に拡大する方針を決定しました。
日本政府は2005年5月21日、これまで一部地域に限られていた中国団体観光客向けのビザ発給を中国全土に拡大する方針を固めました。訪日観光客の増加を通じて観光振興や地域経済の活性化を図る狙いがありました。両国の外交関係の改善や民間交流拡大も期待されました。実施後、中国からの団体旅行者数は急増し、観光業界に追い風となりました。また、手続きの簡素化により旅行者の利便性が向上し、地方都市への誘客も進みました。
2005年 日本政府 中国
2006年

モンテネグロでセルビア・モンテネグロからの分離独立についての国民投票が行われ、独立が決定する。

2006年5月21日、モンテネグロで独立を問う国民投票が実施され、賛成多数で独立が決定しました。
モンテネグロは長らくセルビア・モンテネグロ連邦の一部として統合されてきました。欧州連合の仲介のもと、独立成立には55%以上の賛成が必要とされました。2006年5月21日に実施された国民投票では約55.5%が独立支持となり、条件を満たしました。この結果を受けて同年6月3日には正式に独立宣言が行われ、新国家発足への道が開かれました。セルビアとの関係やEU加盟に向けた交渉が本格化し、地域の政治地図に大きな変化をもたらしました。
2006年 モンテネグロ セルビア・モンテネグロからの分離独立についての国民投票 英語版
2009年

日本で裁判員制度開始。この日以降に起きた事件が対象となり、8月3日に初の裁判員裁判を実施。

2009年5月21日、日本で裁判員制度が正式に導入されました。
2009年5月21日、日本で裁判員制度が正式に導入されました。一般市民が刑事裁判に参加する仕組みで、重大犯罪の裁判を対象としています。裁判員は死刑や無期懲役など重い刑が科される事件で合議に加わり、有罪・無罪や量刑を判断します。導入初期には市民の負担や参加者の意識などが議論を呼びました。同年8月3日に最初の裁判員裁判が実施され、実務面の課題解決が進められました。
2009年 裁判員制度 8月3日
2018年

中央情報局(CIA)初の女性長官としてジーナ・ハスペルが就任。

2018年5月21日、ジーナ・ハスペルがCIA初の女性長官に就任し、米情報機関の歴史を塗り替えました。
2018年5月21日、米国上院の承認を経てジーナ・ハスペルが中央情報局(CIA)の第7代局長に就任しました。ハスペルは情報収集や秘密工作の最前線で長年活躍し、CIA史上初の女性局長として話題を集めました。拷問プログラムへの関与が議論を呼んだ過去もあることから、就任前には賛否両論がありました。就任後は透明性の向上とテクノロジー活用による分析強化を掲げ、情報機関改革の旗振り役を担いました。トランプ政権下で重要な情報戦略をリードする存在として注目を浴びました。
2018年 中央情報局 ジーナ・ハスペル
2022年

オーストラリア総選挙が行われ、労働党が勝利し9年ぶりの政権交代となる。5月23日にはアンソニー・アルバニージーが第31代首相に就任。

2022年5月21日、オーストラリア総選挙で労働党が勝利し、9年ぶりの政権交代が実現しました。
2022年5月21日、オーストラリア連邦政府選挙が実施され、与党保守連合が敗北し野党の労働党が大勝しました。これにより2013年以来9年ぶりの政権交代が確定し、下院で過半数を獲得しました。選挙戦では気候変動対策や社会保障、経済回復戦略が争点となりました。選挙結果を受けて5月23日にアンソニー・アルバニージーが第31代首相に就任し新政権を発足させました。アルバニージー政権は環境政策や公的医療制度の強化を重点課題に掲げています。
2022年 オーストラリア総選挙 労働党 5月23日 アンソニー・アルバニージー 首相