寛政4年4月1日
噴火が続いていた雲仙岳で、山体の一部が崩落。土砂が島原海に入って津波が発生し、対岸の肥後にも被害。(島原大変肥後迷惑)
雲仙岳の山体崩落による津波が島原海と肥後沿岸を襲い、多大な被害をもたらしました。
1792年4月、寛政4年の噴火活動で山頂から大量の土砂が一挙に海へ滑落しました。
この土砂崩落が津波を発生させ、島原半島と対岸の肥後国沿岸を襲いました。
津波の高さは最大10メートルと推定され、約15,000人以上が犠牲になったとされます。
「島原大変肥後迷惑」と呼ばれ、当時の幕府や諸藩による救援活動が行われました。
日本史上最大級の火山関連災害の一つで、地質学的にも貴重な事例です。
1792年
寛政
4月1日
雲仙岳
島原大変肥後迷惑