寛政4年4月1日

噴火が続いていた雲仙岳で、山体の一部が崩落。土砂が島原海に入って津波が発生し、対岸の肥後にも被害。(島原大変肥後迷惑)

雲仙岳の山体崩落による津波が島原海と肥後沿岸を襲い、多大な被害をもたらしました。
1792年4月、寛政4年の噴火活動で山頂から大量の土砂が一挙に海へ滑落しました。 この土砂崩落が津波を発生させ、島原半島と対岸の肥後国沿岸を襲いました。 津波の高さは最大10メートルと推定され、約15,000人以上が犠牲になったとされます。 「島原大変肥後迷惑」と呼ばれ、当時の幕府や諸藩による救援活動が行われました。 日本史上最大級の火山関連災害の一つで、地質学的にも貴重な事例です。
1792年 寛政 4月1日 雲仙岳 島原大変肥後迷惑
1953年

千葉県富津町で地元民が引き上げた爆雷が解体中に爆発。死者2人、重傷2人、家屋全半壊10戸。

1953年、千葉県富津町で旧軍用爆雷の解体作業中に誤爆が起こり、多数の死傷者を出しました。
第二次大戦後に海中から引き上げられた爆雷を地元住民が解体中に爆発事故を発生。 爆風は半径数十メートルに達し、死者2人・重傷2人を出す惨事となりました。 付近の家屋10戸が全半壊し、地域住民に大きな衝撃を与えました。 戦後の不発弾処理の危険性が改めて浮き彫りになり、行政による対策強化が進められました。
千葉県 富津町 爆雷
2007年

19世紀に建造されたイギリスの帆船カティーサークが炎上する。

2007年5月21日、英国の歴史的帆船カティーサークが火災で大きな損傷を受けました。
イギリス・グリニッジに保存されている19世紀の帆船カティーサークは観光名所として親しまれてきました。2007年5月21日未明に船体の補修作業中に発生した火災により、船首や甲板が大きく損傷しました。原因はメンテナンス中の作業ミスとも言われ、詳細は調査中です。火災は数時間にわたって続き、消火活動が行われましたが、歴史的な構造材にも被害が及びました。以後、大規模な修復計画が立案され、再公開に向けた取り組みが進められています。
2007年 カティーサーク