延暦21年4月15日

蝦夷の頭領・アテルイが征夷大将軍・坂上田村麻呂に降伏。

802年4月15日、蝦夷の頭領アテルイが征夷大将軍・坂上田村麻呂に降伏し、中央政府による蝦夷制圧が完了の兆しを見せました。
平安時代初期、東北地方で抵抗を続けていた蝦夷の頭領アテルイが、 征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂率いる朝廷軍と対峙しました。 802年4月15日の降伏により、蝦夷征討は事実上完了し、 中央政府の統治下に東北地方が組み込まれるきっかけとなりました。 坂上田村麻呂は日本初の征夷大将軍として歴史に名を残し、 アテルイの降伏は支配と文化交流の新たな段階を迎えた象徴です。
802年 延暦 4月15日 蝦夷 アテルイ 征夷大将軍 坂上田村麻呂
正応6年4月12日

鎌倉大地震が発生。

1293年4月12日(旧暦)に発生した鎌倉大地震は、鎌倉や京を中心に甚大な被害をもたらしました。
正応6年4月12日(現代暦の5月19日)に発生した大規模地震です。 推定2万~3万人の死者を出し、土砂崩れや家屋倒壊が相次ぎました。 当時の木造建築の脆さが露呈し、多くの寺社仏閣も被災しました。 記録に残る最古級の関東地震として、地震学研究の貴重な資料となっています。 社会経済への影響も大きく、復興に長い時間を要しました。
1293年 正応 4月12日 鎌倉大地震
天文15年4月20日

河越夜戦。

1546年(天文15年)4月20日夜に行われた河越夜戦で、北条氏が奇襲により上杉氏を破りました。
天文15年4月20日夜、武蔵国河越(現在の川越市)で河越夜戦が行われました。 北条氏康・氏政父子は夜陰に乗じて大軍を率い、上杉朝興・憲政の軍を包囲しました。 水攻めや奇襲戦術を駆使し、上杉勢は大敗を喫しました。 この勝利により北条氏は関東支配権を確固たるものとし、 戦国時代における勢力図が大きく塗り替えられました。
1546年 天文 4月20日 河越夜戦
1649年

清教徒革命: イングランドが共和制を宣言。イングランド共和国が成立。

1649年5月19日、清教徒革命の中でイングランドが共和制を宣言し、イングランド共和国が成立しました。
清教徒革命の最中、チャールズ1世の処刑後に君主制が廃止されました。 1649年5月19日、議会派は共和制の樹立を宣言し、イングランド共和国を成立させました。 これにより上院は解散し、下院主導の統治体制が確立しました。 オリバー・クロムウェルらの指導下で、国内の政治・宗教改革が進められました。 君主復活(王政復古)までの約11年間、英国史上初の共和制国家でした。
1649年 清教徒革命 イングランド 共和制 イングランド共和国
1780年

ニューイングランドの暗黒日。

1780年5月19日、ニューイングランドの広範囲で太陽が暗くなる『暗黒日』現象が起こりました。
1780年5月19日午前、ニューイングランド地方一帯が異様な暗闇に包まれました。 日中にもかかわらず太陽が見えず、人々は終末論や火山噴火を疑いました。 後の研究で、遠方の森林火災からの煙と霧が重なった気象現象と判明しています。 この『暗黒日(Dark Day)』はアメリカ植民地時代を象徴する不思議な自然現象です。 現地の記録や日誌に詳細が残され、氣象学史でも特筆される出来事です。
1780年 ニューイングランドの暗黒日
1802年

ナポレオン・ボナパルトがレジオンドヌール勲章を創設。

1802年5月19日、ナポレオン・ボナパルトがレジオンドヌール勲章を創設しました。
第一統領としての権威を背景に、ナポレオンは功労者を顕彰するために勲章を設立しました。 レジオンドヌール勲章はフランス最高の名誉勲章とされ、 軍人や文民の功績を幅広く認める画期的な制度でした。 階級制と恩給が伴い、フランス社会に新たな栄誉文化を根付かせました。 現在もフランス国内外で最も高く尊重される勲章の一つです。
1802年 ナポレオン・ボナパルト レジオンドヌール勲章
嘉永7年4月23日

門人・吉田松陰がアメリカに密航しようとした事件に連座して、佐久間象山が逮捕される。

1854年5月19日、吉田松陰の密航計画への連座で佐久間象山が逮捕されました。
嘉永7年4月23日(1854年5月19日)、吉田松陰がアメリカへの密航を企てた事件が発覚。 松陰の師匠格であった佐久間象山も関与を疑われ、幕府に逮捕されました。 象山は開国論者・西洋砲術の導入を唱えており、攘夷派からも警戒されていました。 この事件は幕末の攘夷・開国論争の激化を象徴する出来事となりました。 佐久間象山は後に処刑され、吉田松陰は松下村塾で指導を続けます。
1854年 嘉永 4月23日 吉田松陰 佐久間象山
1900年

京都法政学校(後の立命館大学)の設立が認可される。同年6月開校。

1900年5月19日、京都法政学校(後の立命館大学)の設立が文部省により認可されました。
明治時代の教育拡充の一環として、京都法政学校の設立が承認されました。 同年6月に開校し、法学を中心に実学教育を行う私立学校として出発。 創立者は西園寺公望ら有力者の支援を受け、近代法学研究の拠点となりました。 後に立命館大学へと発展し、現在は総合大学として国内外で知られています。 長い歴史の始まりを告げる重要なマイルストーンです。
1900年 京都法政学校 立命館大学
1910年

ハレー彗星が太陽面を通過し、地球が彗星の尾の中に入る。「地球に衝突する」「酸素がなくなる」などのデマでパニックになる。

1910年5月19日、ハレー彗星が太陽面を通過し、地球が彗星の尾に入ったとされる現象でパニックが起こりました。
1910年5月19日、ハレー彗星の尾が地球軌道を横切り、大気中に氰化毒ガスが降り注ぐとの噂が拡散。 当時の報道や広告で『死のガスが来る』と煽られ、人々は大量のマスクや蛇行薬を買い求めました。 結果として健康被害はなく、科学的に誤情報と判明しましたが、社会的パニックを誘発。 この事件は天文現象とマスメディアの影響力を示す歴史的事例となりました。 後の天文学的観測により誇張されたデマと判明し、情報リテラシーの重要性を示す教訓となりました。
1910年 ハレー彗星 デマ
1919年

オスマン政府より派遣されたムスタファ・ケマル・パシャがアナトリア北部の港町サムスンに上陸。トルコ独立戦争開始。

1919年5月19日、ムスタファ・ケマル・パシャがサムスンに上陸し、トルコ独立戦争が始まりました。
オスマン帝国崩壊後、連合国による分割統治に反発していたムスタファ・ケマルは、 アナトリア北部の港町サムスンに上陸し、独立運動を本格化させました。 この上陸はトルコ国民運動の起点とされ、後のトルコ共和国建国へとつながります。 内戦と外圧を乗り越え、1923年にケマルはトルコ共和国の初代大統領となりました。 現代トルコ史の転換点を示す象徴的な出来事です。
1919年 ムスタファ・ケマル・パシャ アナトリア サムスン トルコ独立戦争
1935年

ドイツのフランクフルト ダルムシュタット間で、無料の高速道路アウトバーンが初めて開通した。

1935年5月19日、ドイツで世界初の無料高速道路アウトバーンがフランクフルトとダルムシュタット間に開通しました。
ナチス政権下で計画されたアウトバーン網の第一区間が1935年5月19日に開通しました。当時のドイツでは、自動車交通の近代化や軍事輸送の効率化が目的とされました。この初期区間の成功を契機に、全国で高速道路網の建設が急速に進展しました。アウトバーンは交通インフラの革新として注目を集め、後の各国の高速道路整備に大きな影響を与えました。
1935年 フランクフルト ダルムシュタット
1936年

埼玉県北葛飾郡の中川で渡船が転覆して乗客ら10人が死亡。

1936年5月19日、埼玉県の中川で渡船が転覆し、10人が死亡しました。
1936年5月19日に埼玉県北葛飾郡の中川で渡船が運行中に転覆事故が発生しました。乗客を乗せていた小型の渡船は川で転覆し、10名が命を失いました。地元住民にとって重要な交通手段だった渡船事故は大きな衝撃を与えました。事故後、渡船の運行は一時停止され、安全点検が強化されました。この出来事は地域の水上交通の安全意識向上を促しました。
1936年 埼玉県 北葛飾郡 中川 渡船