804年

アルクィン

(735 - 804)

修道士

修道士
9世紀初頭にカール大帝の宮廷で活躍した学者・修道士。
735年頃イングランドのヨークで生まれたアルクィンは、イングランドの修道院で教育を受けた後、カール大帝に招かれて宮廷に仕えました。宮廷学校の校長として学芸の振興に努め、写本の収集や写字業務を統括しました。カロリング=ルネサンスを牽引する中心人物として、ヨーロッパの教育改革に大きく貢献しました。詩人や書簡作家としても知られ、多くの著作を遺しました。804年に没し、その業績は後世の学問制度に影響を与え続けました。
804年 アルクィン 修道士 735年
988年

ドゥンスタン

(909 - 988)

カンタベリー大司教

カンタベリー大司教
カンタベリー大司教としてイングランド教会の改革を主導した聖職者。
909年頃生まれたドゥンスタンは、若くして修道士となり、ウィンチェスター大修道院長やウォリックの修道院長を歴任しました。960年代にカンタベリー大司教に就任し、聖職者の規律強化や修道制度の復興に尽力しました。書道や金銀細工などの技術にも長け、中世イングランド文化の振興にも貢献しました。彼の死後、聖人として崇敬され、数々の奇蹟譚が伝えられています。988年にその生涯を閉じました。
988年 ドゥンスタン カンタベリー大司教 909年
1125年

ウラジーミル2世モノマフ

(1053 - 1125)

キエフ大公

キエフ大公
キエフ大公として東スラヴ諸公国の統一と法整備を進めた指導者。
1053年生まれのウラジーミル2世モノマフは、ヤロスラヴ公の孫として成長し、1103年にキエフ大公に即位しました。彼はノルマン人やポロヴェツ族の襲来に対抗して軍事遠征を成功させ、領土を拡大しました。『ルースカヤ・プラヴダ(ロシア真理)』と呼ばれる法典の編纂を支援し、統治制度の基盤を整備しました。家臣への土地配分や姻戚関係を用いた外交戦略で諸公国の結束を図りました。1125年に没し、その賢明な統治は後世に語り継がれています。
1125年 ウラジーミル2世モノマフ キエフ大公 1053年
1296年

ケレスティヌス5世

(1215 - 1296)

第192代ローマ教皇

第192代ローマ教皇
禁欲的な生活を好んだローマ教皇で、在位後に退位した異例の教皇。
1215年生まれのケレスティヌス5世(本名ペレグリーノ・ピエトロッツィ)は、修道士として清貧な生活を送った後、1294年に教皇に選出されました。禁欲主義を徹底し、教会改革を目指しましたが、教皇庁の政治勢力と対立しました。在位は約5か月にとどまり、自発的に退位したことで知られています。退位後は修道生活に戻り、翌年に死去しました。教皇位を退いた唯一の人物として、カトリック史に名を残しました。
1296年 ケレスティヌス5世 ローマ教皇 1215年
1389年

ドミートリー・ドンスコイ

(1350 - 1389)

第4代モスクワ大公

第4代モスクワ大公
クリコヴォの戦いでモンゴル軍に勝利したモスクワ大公。
1350年生まれのドミートリー・ドンスコイは、1363年に第4代モスクワ大公に就任しました。1380年のクリコヴォの戦いでタタール・モンゴル軍を破り、ロシア諸公国の連帯を強化しました。彼の勝利はタタール支配からの自立の象徴とされ、モスクワの勢力拡大につながりました。法制度の整備や教会への保護によって内政も安定させました。1389年に死去し、その名はロシアの英雄伝説として語り継がれています。
1389年 ドミートリー・ドンスコイ モスクワ大公 1350年
1536年

アン・ブーリン

(1502 - 1536)

イングランド王ヘンリー8世の王妃

イングランド王ヘンリー8世の王妃
ヘンリー8世の王妃となり、英国宗教改革に影響を与えた人物。
1502年頃生まれたアン・ブーリンは、フランス宮廷で教育を受けた後、イングランド王ヘンリー8世の寵愛を受けて王妃となりました。1533年に戴冠し、後のエリザベス1世を出産しました。しかし男子を得られず、宮廷内の権力闘争に巻き込まれて反逆罪と姦通罪で告発されました。1536年に処刑され、その死は英王室とカトリック教会の対立を深める契機となりました。彼女の悲劇的な生涯は多くの伝説や芸術作品で取り上げられています。
1536年 アン・ブーリン ヘンリー8世 1502年
1601年

コスタンツォ・ポルタ

作曲家

作曲家
ルネサンス期イタリアの作曲家、リュート音楽の先駆者。
1528年または1529年に生まれたコスタンツォ・ポルタは、パドヴァ大学で音楽理論を学び、リュートや声楽の作曲で知られています。抒情的な旋律と複雑な対位法を駆使した作品を多数残し、ルネサンス音楽の重要作曲家として評価されました。彼の出版した歌曲集はヨーロッパ各地で広まり、多くの楽譜伝承に影響を与えました。国内外の芸術サロンで演奏され、後世の音楽家にも参照され続けています。1601年に没し、その作品は現在でも演奏されています。
1601年 コスタンツォ・ポルタ 作曲家 1528年 1529年
寛文13年4月3日

隠元隆琦

(1592 - 1673)

明の禅僧、日本黄檗宗の開祖

明の禅僧 日本黄檗宗の開祖
日本黄檗宗を開祖し、茶道や建築に影響を与えた禅僧。
1592年に中国福建省で生まれた隠元隆琦は、臨済宗の僧侶として修行を重ね、1654年に日本へ渡来しました。長崎・興福寺に入寺し、寛文元年に宇治の萬福寺を建立して黄檗宗を開宗しました。中国禅の修行法や墨蹟、建築様式を日本にもたらし、茶道や芸術文化に大きな影響を与えました。門弟は全国に広がり、日本の仏教史に新たな潮流を築きました。1673年に没しました。
1673年 寛文 4月3日 隠元隆琦 黄檗宗 1592年
宝永3年4月8日

有馬頼旨

(1685 - 1706)

第5代久留米藩主

第5代久留米藩主
江戸時代前期に久留米藩を統治した5代藩主。
1685年に生まれた有馬頼旨は、有馬家13代当主として1703年に5代藩主に就任しました。領内の財政再建に取り組み、農業振興や水路整備などの藩政改革を推進しました。学問と儒学を奨励し、藩校の整備にも力を注ぎました。短い治世ながら領民の生活向上を図り、家臣団の結束を強化しました。1706年に若くして没しました。
1706年 宝永 4月8日 有馬頼旨 久留米藩主 1685年
享保9年4月27日

松平宗昌

(1675 - 1724)

第7代福井藩主

第7代福井藩主
享保期に福井藩を治めた7代藩主。
1675年に生まれた松平宗昌は、享保8年(1723年)に福井藩7代藩主に就任しました。福井城の修築や城下町の整備に着手し、財政再建のための検地や問屋制の導入を行いました。学問奨励策として藩校を支援し、藩士の教養向上を図りました。文化事業にも理解を示し、藩内に文人や学者を招いて交流を深めました。1724年に没しました。
1724年 享保 4月27日 松平宗昌 福井藩主 1675年
1786年

ジョン・スタンリー

(1712 - 1786)

作曲家

作曲家
18世紀イングランドの作曲家・オルガニスト。視覚障害を乗り越え、教会音楽と協奏曲で功績を残しました。
1712年にロンドンで生まれたジョン・スタンリーは、幼少時に視力を失いながらも教会オルガニストとしてキャリアを歩みました。 彼のオルガン協奏曲は当時のロンドン音楽界で高く評価され、出版された作品は多くの愛好家に親しまれました。 特に演奏技術と作曲技法のバランスに優れ、流麗で活気ある旋律が特徴です。 また、教会音楽や室内楽作品でも活動し、プロテスタント教会音楽の発展に寄与しました。 その生涯を通じて盲目のハンディキャップを克服し、多くの後進に影響を与えました。 1786年にロンドンで没し、その功績は後世まで語り継がれています。
1786年 ジョン・スタンリー 作曲家 1712年
1795年

ジェイムズ・ボズウェル

(1740 - 1795)

作家

作家
18世紀スコットランドの作家・伝記作家。サミュエル・ジョンソンの伝記で知られ、その詳細な日記は貴重な文化史料です。
1740年にエディンバラで生まれたジェイムズ・ボズウェルは、法律家の訓練を受けつつも文学の道を志しました。 彼の代表作『サミュエル・ジョンソン先生の生涯』は詳細な取材と豊富な引用で当時のロンドン文化を伝えます。 ボズウェルの日記には社交界の出来事や自己観察が生き生きと記録され、18世紀英国社会の貴重な証言となりました。 また、イタリアやオランダへの旅行記も手掛け、その博覧強記ぶりを示しました。 その人柄は好奇心旺盛で社交的、同時に繊細な内面を抱えていたとされます。 1795年5月19日にロンドンで没し、現在も伝記文学の金字塔と称されています。
1795年 ジェイムズ・ボズウェル 1740年