1938年
日中戦争: 徐州会戦で西住小次郎戦車小隊長が戦死。日中戦争初の軍神となる。
徐州会戦で西住小次郎戦車小隊長が戦死し、日中戦争の軍神となった。
1938年5月17日、日中戦争の戦局で中国戦線最大級の戦いとなった徐州会戦において、戦車小隊長の西住小次郎大尉が戦死しました。彼は巧妙な戦術と勇敢な行動で部隊を率い、多くの戦果を挙げていました。戦後、軍神として崇められ、兵士たちの士気を高める象徴的存在となりました。西住の戦死は日本軍内部で大きく報道され、戦意高揚のプロパガンダにも利用されました。後世においても戦車戦の英雄として語り継がれています。
1938年
日中戦争
徐州会戦
西住小次郎
軍神
1940年
第二次世界大戦: ナチス・ドイツによってブリュッセルが占領される。
ナチス・ドイツ軍がブリュッセルを占領し、第二次世界大戦が激化した。
1940年5月17日、第二次世界大戦中のドイツ軍による電撃戦が進行する中、ナチス・ドイツはベルギーの首都ブリュッセルを占領しました。ベルギー防衛線を突破したドイツ軍の機甲師団が突入し、フランス侵攻の足がかりを確保。占領後の行政運営や補給路確立により、連合国側への圧力が一段と高まりました。この出来事は西部戦線における戦局を変える重要な転機とされます。住民生活への影響も大きく、多くの市民が抑圧と戦火にさらされることとなりました。
1940年
第二次世界大戦
ナチス・ドイツ
ブリュッセル
1943年
第二次世界大戦: イギリス空軍の第617中隊によってチャスタイズ作戦が行われる。
イギリス空軍第617中隊がダム破壊を目的としたチャスタイズ作戦を実施した。
1943年5月17日、イギリス空軍の第617中隊(通称ダムバスターズ)が、ドイツ国内の重要なダム施設を標的としたチャスタイズ作戦を決行しました。特殊爆弾「バウンシング・ボム」を用いてロンメルダムやアイダムなどを攻撃し、工業地域への水資源と発電供給を断つことを狙いました。作戦は戦術的成功を収め、一部ダムの破壊に成功しましたが、人的被害も大きく、28名の犠牲者が出ました。この大胆な空爆作戦は連合軍の士気を高め、後の空襲作戦に影響を与えました。
1943年
イギリス空軍
第617中隊
チャスタイズ作戦
1978年
エルサルバドルで日本とエルサルバドルの合弁企業インシンカの社長・松本不二雄が、FARN(全国抵抗武装軍)と名乗る組織により誘拐。同年10月に遺体で発見。(日本時間5月18日)
エルサルバドルで合弁企業社長の松本不二雄がゲリラ組織に誘拐され、後に遺体で発見された。
1978年5月17日(日本時間18日)、エルサルバドル内戦下で日本・エルサルバドル合弁企業インシンカ社長の松本不二雄がFARNと名乗るゲリラ組織に拉致された。同年10月に遺体で発見され、民間企業関係者の身の安全確保が大きな課題として浮上。この事件は中南米の政情不安と外国人身辺警護の重要性を改めて示し、企業の安全対策強化に繋がった。
1978年
エルサルバドル
合弁企業
誘拐
5月18日
1987年
アメリカ海軍のフリゲート「スターク」にイラク軍機が発射したミサイルが命中し、37名の死者を出す。
アメリカ海軍フリゲート艦スタークがイラク軍機のミサイル攻撃を受け、37名が死亡した。
1987年5月17日、ペルシャ湾で哨戒任務中のアメリカ海軍フリゲート艦スタークに、イラク軍機が誤ってミサイルを発射し命中。艦内で大規模な爆発が起こり、37名の乗員が死亡する惨事となった。当時の湾岸危機を背景に、友軍識別システムや防空対策の不備が浮き彫りに。事件を受けて米海軍は運用手順と装備の見直しを行い、安全強化を図った。
1987年
アメリカ海軍
フリゲート
スターク
イラク
ミサイル
1997年
第一次コンゴ戦争: コンゴ・ザイール解放民主勢力連合 (AFDL) のローラン・カビラが勝利宣言をして大統領に就任し、国名をザイールからコンゴ民主共和国に変更する。
第一次コンゴ戦争が終結し、ローラン・カビラが大統領に就任、国名を変更。
1997年5月17日、第一次コンゴ戦争の結果、反政府勢力AFDLを率いたローラン・カビラが勝利宣言を行い、ザイール大統領モブツ政権を打倒しました。
同日、カビラは新たに成立したコンゴ民主共和国の大統領に就任。
国名は旧ザイールから“コンゴ民主共和国”へと改称され、長年の独裁支配からの脱却が象徴されました。
しかしその後も内戦や政治的混乱は続き、国際社会の支援と関与が求められる状況が続出。
この出来事は中部アフリカの地政学に大きな影響を与えました。
1997年
第一次コンゴ戦争
コンゴ・ザイール解放民主勢力連合
ローラン・カビラ
ザイール
コンゴ民主共和国