1618年
天文学者ヨハネス・ケプラーが惑星の運動に関する第3法則を解明。
1618年、ケプラーが惑星運動の第3法則を発見し、天文学に革命をもたらしました。
1618年5月15日、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは惑星の公転周期と軌道長半径の関係を示す第3法則を解明しました。この法則は『調和の法則』とも呼ばれ、惑星の周期の2乗が軌道長半径の3乗に比例することを示しています。ケプラーは故ティコ・ブラーエの観測データを基に膨大な計算を行い、この普遍的な法則を導き出しました。第3法則の発見はニュートン力学の基礎を築く重要な一歩となり、天体力学の発展に寄与しました。ケプラーの成果は現代天文学や宇宙航行理論にも大きな影響を与えています。
1618年
天文学者
ヨハネス・ケプラー
惑星の運動に関する第3法則
1793年
スペインのディエゴ・マリン・アギレラがグライダーで約360メートルを飛行。
1793年、スペインのディエゴ・マリン・アギレラがグライダーで約360メートルの飛行に成功しました。
1793年5月15日、スペインの発明家ディエゴ・マリン・アギレラはグライダーを用いて約360メートルの滑空飛行に成功しました。彼の設計したグライダーは軽量な木製骨組みに布張りの翼を備えており、当時としては革新的な航空装置でした。実験はグラナダ近郊の丘陵地帯で行われ、周囲の注目を集めました。この成果は同時代の航空技術研究に刺激を与え、後のライト兄弟らによる動力飛行実現への道を拓く一助となりました。アギレラの飛行は、人類の空への挑戦史における重要なマイルストーンと位置づけられています。
1793年
スペイン
ディエゴ・マリン・アギレラ
グライダー
1900年
マルコーニ国際海洋通信会社がドイツのボルクム島灯台海岸局、ボルクム・リフ灯台船無線局、カイザー・ヴィルヘルム・デア・グローセ号で世界初の海上移動の公衆通信(電報)サービスを創業。
1900年、マルコーニ社が世界初の海上公衆電報サービスを開始しました。
1900年5月15日、グリエルモ・マルコーニが創設したマルコーニ国際海洋通信会社は、ドイツのボルクム島灯台海岸局および船舶無線局を結びつけ、世界初の海上移動公衆通信サービスを創業しました。カイザー・ヴィルヘルム・デア・グローセ号との間での実験的な電報交信が成功し、航海中の船舶が陸上と電報で連絡を取る道を切り拓きました。この技術革新は海難救助や航海の安全性向上に寄与し、後の無線通信網の発展を促進しました。海運業界に大きな影響を与え、国際的な通信インフラの基盤となった重要な出来事です。
1900年
ボルクム島
カイザー・ヴィルヘルム・デア・グローセ
1941年
イギリス初(世界二番目)のジェット機グロスター E.28/39が初飛行。
英国初の実用ジェット機「グロスター E.28/39」が初飛行に成功した日。
1941年5月15日、グロスター社が開発した実験用ジェット機「E.28/39」が初飛行を行いました。ジェットエンジンの父とも称されるフランク・ホイットルのW.1エンジンを搭載し、高度な空力設計が施されていました。航行はRAFレイス飛行場で行われ、最高速度は時速約770kmに達しました。この機体の実験は第二次世界大戦後のジェット機開発競争の道を切り開き、航空技術の新時代を告げるものでした。試験飛行の成功により、後のジェット戦闘機や旅客機の基礎研究が本格的に進展しました。
1941年
グロスター E.28/39
1957年
イギリスが初めて水爆実験を実施。
イギリスが初めて水素爆弾実験を行った日。
1957年5月15日、イギリスは太平洋上のクリスマス島(キリス環礁)で史上初となる水素爆弾実験(Operation Grapple)を実施しました。この実験の成功により、イギリスはアメリカとソ連に次いで三番目の熱核兵器保有国となりました。装置は熱核融合反応を利用しており、高い破壊力を持つ新世代の核兵器として位置づけられました。冷戦下の核軍拡競争は一層激化し、世界各国に大きな衝撃を与えました。実験は環境への影響や放射線汚染の懸念をもたらし、後の核実験禁止運動の契機ともなりました。
1957年
イギリス
水爆
1958年
ソ連が「スプートニク3号」を発射。
ソ連が人工衛星「スプートニク3号」を打ち上げた日。
1958年5月15日、ソ連が人工衛星「スプートニク3号」を打ち上げました。スプートニク3号は大気圏上層や宇宙線の観測機器を搭載し、重量は約1,330kgに達しました。打ち上げにはヴォストークロケットが使用され、約800kmの高度軌道に投入されました。衛星は1959年1月6日まで運用され、多数の科学データを地上局に送信しました。この成功によりソ連は科学衛星開発の先駆者としての地位を確立し、宇宙科学研究の飛躍的進展に寄与しました。開発競争はアメリカとの宇宙開発競争(スペースレース)を一層加速させました。
1958年
ソ連
スプートニク3号
1960年
ソ連が「スプートニク4号」を発射し、地球周回軌道に乗る。
ソ連が無人宇宙探査機スプートニク4号を打ち上げ、地球周回軌道への投入に成功した。
スプートニク4号は1960年5月15日に打ち上げられた無人宇宙探査機で、スプートニク計画の第4弾にあたる。
この機体は地球周回軌道で各種科学実験と再突入技術の試験を目的として設計された。
打ち上げにはR-7ロケットが用いられ、軌道投入に成功した後、数周の周回運動を行った。
その後、大気圏再突入実験を実施し、機体の耐熱性能や通信システムの性能が検証された。
これらの成果は後の有人宇宙飛行計画で重要なデータとなった。
1960年
スプートニク4号
地球
1963年
NASAがマーキュリー計画の最後となる「マーキュリー・アトラス9号」を打ち上げ。
NASAがマーキュリー計画の最終ミッションとしてマーキュリー・アトラス9号を打ち上げ、人類初の長時間単独宇宙飛行を達成した。
マーキュリー・アトラス9号は1963年5月15日にケープカナベラル空軍基地から打ち上げられたNASAの有人宇宙飛行ミッションで、マーキュリー計画の最後の飛行にあたる。
搭乗したゴードン・クーパー宇宙飛行士は地球を22周し、約34時間にわたり自動制御および手動制御による各種実験を実施した。
このミッションは長時間の単独宇宙飛行の耐久性を検証し、生命維持装置や軌道制御システムの性能向上に寄与した。
成功裡に帰還した宇宙船は大西洋に着水し、海軍の回収チームによって回収された。
マーキュリー計画の成果は後のジェミニ計画やアポロ計画の基礎データとなった。
1963年
NASA
マーキュリー計画
マーキュリー・アトラス9号