ローマ皇帝
ローマ皇帝
西ローマ皇帝として375年に即位し、若くして悲劇的な最期を迎えた若き皇帝。
371年に生まれ、わずか4歳で皇帝に擁立された。母ユスティナの後ろ盾を得てローマ帝国内で権力を維持しようとしたが、将軍マグヌス・マクシムスとの対立に巻き込まれた。聖アンブロジウスとの宗教対立やゴート族への譲歩など、複雑な政治情勢の中で統治を強いられた。392年、評価の分かれる死因で若くして命を落とし、その死は暗殺説や自殺説を生んだ。彼の短い治世は西ローマ帝国の動揺を象徴する出来事として知られる。
392年
ウァレンティニアヌス2世
ローマ皇帝
371年
第68代天皇
第68代天皇
平安時代中期の第68代天皇として1016年に即位し、雅やかな宮廷文化を象徴した。
1008年に生まれ、1016年に即位して68代天皇となった。実権は藤原道長をはじめとする藤原氏が握り、天皇は主に儀礼と文化面での象徴的役割を担った。宮廷では和歌・管絃・香道が盛んに行われ、『源氏物語』などの文学が一層交流・発展した。特に女房文学や漢詩の創作が活況を呈し、平安貴族文化の最盛期を彩った。在位20年の後、1036年に29歳で崩御。その優雅な宮廷文化は後世にまで影響を及ぼした。
1036年
長元
4月17日
後一条天皇
天皇
1008年
キエフ大公
キエフ大公
キエフ大公として諸侯争覇を繰り広げ、モスクワの礎を築いたルーシの君主。
1099年にウラジーミル2世モノマフの子として生まれた。キエフ大公位をめぐり異母兄弟と争いながら、ポロツク・スモレンスクなど各地を転戦した。1147年には「モスクワ」の名が史料に初めて登場し、後の都市発展の基盤を築いた。ウラジーミル・スズダリ公国の拡大やビザンツ帝国との外交を通じてルーシ諸侯の統一を試みた。1157年、キエフで没し、その勇猛さと先見性はロシア建国の歴史に大きな足跡を残した。
1157年
ユーリー・ドルゴルーキー
キエフ大公
1099年
ザンギー朝君主
ザンギー朝君主
ヌールッディーン朝を統一し、十字軍に立ち向かったイスラム世界の指導者。
1118年にメソポタミアで生まれ、ザンギー朝第2代アターベグとしてシリア・イラクの統治を引き継いだ。兄サアド・ザンギーの死後、ディヤルバクル・アレッポを制圧し、南シリアを統一した。十字軍国家と激しく対峙し、エデッサ攻略などの軍事行動で名を馳せた。宗教的にもスンナ派復興を唱え、マドラサや病院の建設を推進してイスラム文化振興に寄与した。晩年はシリアの諸侯をまとめ、『聖戦(ジハード)』の理念を広めたが、1174年に病没し、その死後兄弟間の権力争いが激化した。
1174年
ヌールッディーン
ザンギー朝
1118年
鎌倉時代の武将
鎌倉時代の武将
鎌倉時代に活躍した武将で、小山氏の基礎を築いた人物。
1158年に生まれ、源頼朝の御家人として仕えた。石橋山の戦いや富士川の戦いなど源氏の台頭に貢献し、鎌倉幕府成立に尽力した。戦功により下野国小山郡を領し、小山氏の祖として勢力を拡大した。領内では荘園制度の整備や寺社の保護を進め、地域統治に手腕を発揮した。晩年は出家して隠棲し、1238年に生涯を閉じた。
1238年
暦仁
3月30日
小山朝政
鎌倉時代
武将
1158年
スウェーデン王
スウェーデン王
15世紀に三度王位に就き、内乱と政略を生き抜いたスウェーデン王。
カルル8世はスウェーデン貴族出身の王として、1448年に初めて選出された。デンマーク王クリスチャン1世との王位争いが絶えず、1457年と1467年にも王位に復帰した。統治中は内紛の鎮静化に努めながら、貴族の権益調整を図った。またゴットランドの支配権確保やハンザ同盟との商業交渉にも関与し、北欧の情勢に影響を与えた。1470年に三度目の崩御を迎え、その波乱の生涯は北欧史に大きな足跡を残した。
1470年
カール8世
スウェーデン王
1408年
戦国武将
戦国武将
織田信長の側近として多くの戦いで活躍した戦国武将。
1535年に美濃国で生まれ、織田信長に仕えてその重臣となった。姉川の戦い・長篠の戦いなど数々の戦功を挙げ、信長軍の中核を担った。本能寺の変後は秩序回復に奔走し、賤ヶ岳の戦いや四国征伐にも従軍した。その智略と統率力で高い評価を得たが、1585年に病没し、その誠実さと忠義ぶりは天下に知れ渡った。
1585年
天正
4月16日
丹羽長秀
戦国武将
1535年
画家
画家
オランダ黄金時代を代表する氷上風景画家。
1585年にアムステルダム近郊で生まれ、小児マヒの後遺症で口が不自由だったが自然風景の観察に専念した。冬景色を主題に据え、凍った運河や湖上で遊ぶ群衆を活き活きと描く独自作風を確立。エッチングや水彩画を多用し、版画によって広く流通させた。画面には細やかな人物表現と自然描写が融合し、後世の風俗画にも大きな影響を与えた。1634年に没し、その氷上スケッチは今日も高く評価されている。
1634年
ヘンドリック・アーフェルカンプ
画家
1585年
江戸幕府老中
江戸幕府老中
江戸幕府で老中を務め、政務・財政改革に取り組んだ旗本大名。
1627年に旗本の家に生まれ、若くして幕府に仕官し頭角を現した。老中として幕政全般を監督し、財政再建や幕府直轄地の統制に尽力した。禁裏や寺社の管轄強化、年貢取り立ての合理化などを進め、幕府の基盤を安定させた。また朝鮮通信使や琉球使節の接遇を担当し、外交儀礼を統括した。1685年に没し、その行政手腕は後続の老中にも引き継がれた。
1685年
貞享
4月13日
阿部正能
江戸幕府
老中
1627年
徳川綱吉の長女
徳川綱吉の長女
徳川綱吉の長女として江戸城で育った姫君。
1677年に江戸城で誕生し、将軍家の姫として厳格な礼法教育を受けた。将来の政略結婚の話もあったが、結局生涯独身で過ごした。学問や和歌に優れ、宮中の儀礼を学ぶ傍ら多くの女房から慕われた。1704年、27歳で惜しまれつつ世を去り、その早逝は幕府内外に衝撃を与えた。彼女の繊細な教養と気品は後世に美談として語り継がれている。
1704年
宝永
4月12日
鶴姫
徳川綱吉
1677年
百科事典編集者
百科事典編集者
18世紀に活躍したイギリスの百科事典編集者。
『Cyclopaedia』の主要編纂者として知られる。
イギリスに生まれ、古書や文献の研究に従事した。
1728年に初版が刊行された『Cyclopaedia』の編纂を主導し、知識の体系化に貢献した。
当時としては画期的な百科事典形式を確立し、多くの版を重ねて普及。
学術界だけでなく一般教養の向上にも影響を与えた。
晩年は新たな版の準備に取り組んだが、1740年に死去した。
1740年
イーフレイム・チェンバーズ
百科事典
1680年
ビルマ王
ビルマ王
ビルマ・コンバウン朝を創設した初代王。
ミャンマーの統一を実現した。
1711年にビルマ北部で生まれる。
1752年に反乱軍を率いてタウングー朝を倒し、コンバウン朝を樹立。
王として中央集権化を推進し、各地を遠征してミャンマー全土を統一。
仏教の保護や行政改革を行い、国家基盤を強化した。
1760年に遠征先で負傷し、王都に戻る途中で崩御した。
その後も治世の成果は後継者によって受け継がれた。
1760年
アラウンパヤー
ビルマ王
1711年