1567年

クラウディオ・モンテヴェルディ

作曲家※洗礼日

作曲家※洗礼日
イタリア・ルネサンスからバロックへの橋渡しを果たした作曲家。
クラウディオ・モンテヴェルディは1567年にイタリア北部のクレモナで生まれました。 ルネサンス音楽の伝統を継承しつつ、新たに生まれたバロック様式を確立した立役者です。 代表作には世界最古のオペラとも称される『オルフェオ』や、1610年の『マドリガーレ集第八巻』があります。 彼の革新的な調和と表現技法は後世の作曲家に大きな影響を与え、音楽史に重要な足跡を残しました。 1643年にヴェネツィアで客死するまで、多くの宗教曲や世俗曲を創作し続けました。
1567年 クラウディオ・モンテヴェルディ 作曲家 1643年
1633年

セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン

(1633 - 1707)

軍事技術者

軍事技術者
ルイ14世に仕えたフランスの軍事技術者・要塞建築家。
セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバンは1633年にフランスで生まれました。 ルイ14世に仕え、フランス全土にわたる要塞網「プル・カレ」を計画・設計しました。 堅牢な要塞建築と防御理念は当時の軍事技術を革新し、ヨーロッパ各地に影響を与えました。 著書『要塞職業論』などにより要塞工学を理論的に体系化し、後世の技術者に多大な示唆を与えました。 1707年にパリで没し、その業績は近代軍事工学の基礎となりました。
1633年 セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン 軍事 技術者 1707年
宝暦10年4月1日

水野勝剛

(1760 - 1834)

第9代結城藩主

第9代結城藩主
江戸時代後期の結城藩主として藩政を担った大名。
水野勝剛は1760年に江戸で生まれ、第9代結城藩主を世襲しました。 藩主として領内の統治や財政管理にあたり、藩政基盤の維持に努めました。 領内の教育支援や文化事業にも理解を示し、郷学の整備を後押ししました。 農業振興や治水事業にも関心を寄せ、領民生活の安定に尽力しました。 1834年にその生涯を閉じました。
1760年 宝暦 4月1日 水野勝剛 結城藩主 1834年
1773年

クレメンス・メッテルニヒ

(1773 - 1859)

政治家

政治家
ウィーン会議を主導したオーストリアの政治家・外相。
クレメンス・メッテルニヒは1773年にドイツ貴族の家系に生まれました。 ウィーン会議(1814-1815年)では主要交渉者としてヨーロッパの国際秩序再編に携わりました。 保守主義を掲げ、ウィーン体制と呼ばれる政治体制の維持を図りました。 オーストリア帝国の外相および首相として30年以上にわたり欧州外交を主導しました。 1859年に引退後、パリで没しました。
1773年 クレメンス・メッテルニヒ 政治家 1859年
1810年

ジェイコブ・トンプソン

(1810 - 1885)

第5代アメリカ合衆国内務長官

第5代アメリカ合衆国内務長官
第5代アメリカ合衆国内務長官を務めた政治家。
ジェイコブ・トンプソンは1810年にニューハンプシャー州で生まれました。 法学を学んだ後、地元で政治家として頭角を現し、国政に進出しました。 1857年から1861年までジェームズ・ブキャナン政権の内務長官を務め、公共事業や資源管理を監督しました。 南北戦争では南部同盟に協力し、外交・諜報活動に関与しました。 戦後はイギリスへ亡命し、1885年に亡くなりました。
1810年 ジェイコブ・トンプソン アメリカ合衆国内務長官 1885年
1814年

アントワーヌ・シャントルイユ

(1814 - 1873)

画家

画家
フランスの風景画家として大気表現に優れたリアリズム作家。
アントワーヌ・シャントルイユは1814年にフランスのポン=ド=ヴーで生まれました。 バルビゾン派に近い写実主義風景画家として知られ、自然光や大気の表現に卓越しました。 サロンで高い評価を受け、特に朝霧や黄昏の風景画が好評を博しました。 コローやミレーとも交流し、風景画の新たな可能性を追求しました。 1873年に没し、その作品は後の印象派にも影響を与えました。
1814年 アントワーヌ・シャントルイユ 画家 1873年
文政3年4月4日

中川久昭

(1820 - 1889)

第12代岡藩主

第12代岡藩主
江戸時代後期の岡藩主として藩政を担った大名。
中川久昭は1820年に第12代岡藩主として生まれました。 幼少期に家督を継承し、藩政改革や財政再建に取り組みました。 幕末の動乱期には幕府と交渉を重ね、藩の立場を維持しました。 明治維新後は華族に列せられ、公職に従事しました。 1889年に没し、華族としての地位を子孫に残しました。
1820年 文政 4月4日 中川久昭 岡藩主 1889年
文政5年3月24日

有馬頼永

(1822 - 1846)

第10代久留米藩主

第10代久留米藩主
江戸時代後期の久留米藩主として領政を担当した大名。
有馬頼永は1822年に第10代久留米藩主として生まれました。 幼少で藩主となり、領民の統治や財政管理に従事しました。 領内の治水や農業振興に関心を示し、地域社会の安定を図りました。 藩主としての役割を果たしつつ、文化事業を支援しました。 1846年に若くしてこの世を去りました。
1822年 3月24日 有馬頼永 久留米藩主 1846年
1839年

中原鄧州

(1839 - 1925)

禅僧

禅僧
臨済宗の日本の禅僧として多くの門弟を育成した高僧。
中原鄧州は1839年に生まれ、臨済宗の僧侶として得度しました。 京都や鎌倉の寺院で修行を積み、多くの門弟を指導しました。 禅の教えを広めるために講座や写経会を開催しました。 仏教思想の普及と精神修養に尽力し、生涯にわたり布教活動を続けました。 1925年に没しました。
1839年 中原鄧州 禅僧 1925年
1845年

イリヤ・メチニコフ

(1845 - 1916)

微生物学者

微生物学者
微生物学者として免疫学の基礎を築いたロシア出身の科学者。
イリヤ・メチニコフは1845年にロシア帝国で生まれ、動物学と細菌学を学びました。 白血球による食作用(貪食作用)を発見し、免疫の仕組みを解明する道を切り開きました。 パスツール研究所で研究を続け、1908年にポール・エーリッヒと共にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。 老化研究にも着手し、「長寿の研究」に関する業績を残しました。 1916年に没し、その研究は現代免疫学や老化学に大きな影響を与えました。
1845年 イリヤ・メチニコフ 1916年
1848年

ヴィクトル・ヴァスネツォフ

(1848 - 1926)

画家

画家
ロシアの画家。歴史や民俗を題材にした象徴主義的な作風で知られる。
ヴィクトル・ヴァスネツォフ(1848-1926)はロシアの画家、象徴主義の先駆者である。歴史や民俗伝承を題材にした絵画で高い評価を受け、代表作に『三人の英雄(ボガティリ)』や『十字路の騎士』がある。モスクワのトレチャコフ美術館の装飾や建築デザインにも関わり、ロシア民族復興運動に影響を与えた。多くの若手画家に影響を与え、ロシア絵画の発展に大きく寄与した。彼の作品は現在もロシア各地の美術館で鑑賞できる。
1848年 ヴィクトル・ヴァスネツォフ 1926年
1854年

パーヴェル・パプスト

(1854 - 1897)

ピアニスト、作曲家

ピアニスト 作曲家
ドイツ系ロシア人のピアニスト・作曲家。モスクワ音楽院で教鞭をとり、華麗な演奏と作品で名を馳せた。
パーヴェル・パプスト(1854-1897)はドイツ系ロシア人のピアニスト、作曲家である。モスクワ音楽院で教鞭を執り、リスト直系の技巧を受け継いだ演奏で高い評価を得た。自身の作品では『ピアノ協奏曲ホ長調』が代表作として知られる。また、グリンカやチャイコフスキーの作品をピアノ独奏用に編曲し、多くの聴衆を魅了した。教え子には後にロシア音楽界を担う演奏家が含まれている。
1854年 パーヴェル・パプスト ピアニスト 作曲家 1897年