964年

ヨハネス12世

(937 - 964)

第130代ローマ教皇

第130代ローマ教皇
第130代ローマ教皇。10代で即位し、教会改革や政治的調停を行った異色の教皇。
937年頃にローマ貴族の家に生まれ、955年に第130代教皇に即位した。教会の権威回復と政治的勢力の拡大を図るため、さまざまな改革を試みた。一方で私生活や贅沢ぶりが批判を集めることもあった。諸侯や神聖ローマ帝国皇帝との関係にも緊張があったと言われる。964年に急逝し、その波乱の人生は後世にも語り継がれている。
964年 ヨハネス12世 ローマ教皇 937年
明応8年3月25日

蓮如

(1415 - 1499)

僧、本願寺第8世法主

本願寺第8世法主
浄土真宗本願寺派第8代法主。念仏の教えを平易に説き、多くの門徒を集めた宗教指導者。
1415年に生まれ、幼少期から仏教の教えに親しむ。本願寺第8世法主として念仏の普及と門徒組織の整備に尽力した。難解な経典を平易な言葉で説き、庶民にも受け入れやすい教義を打ち立てた。一揆や内乱で衰退していた本願寺を再興し、勢力拡大を果たした。1499年に没し、後世の浄土真宗に大きな影響を与えた。
1499年 明応 3月25日 蓮如 本願寺 1415年
天正17年3月30日

真壁久幹

(1522 - 1589)

常陸国の国人領主

常陸国の国人領主
戦国時代の常陸国の国人領主。領国経営と防衛に努めた地方豪族。
1522年に常陸国の国人領主の家に生まれた。地元の豪族として領民の統治と領地の維持に力を注いだ。隣国や他の勢力との抗争をくぐり抜け、戦乱の中で領国を守り抜いた。領地内の城郭整備や農村振興にも取り組んだとされる。1589年3月30日に没し、その治世は地域社会に一定の安定をもたらした。
1589年 天正 3月30日 真壁久幹 常陸国 国人 1522年
1608年

シャルル3世

(1543 - 1608)

ロレーヌ公

ロレーヌ公
ロレーヌ公。フランスと神聖ローマ帝国の間で巧みに外交を展開した君主。
1543年にロレーヌ公として生まれ、1545年に父に代わって公位を継承した。プロテスタントとカトリックが対立する時代に、領内の宗教問題を調停しながら中立を保った。フランス王権と神聖ローマ帝国の影響力のはざまで、巧みな外交政策を展開した。芸術や文化の保護にも関心を示し、宮廷文化を発展させた。1608年に没し、長い治世を通じてロレーヌの安定を維持した。
1608年 シャルル3世 ロレーヌ公 1543年
1610年

アンリ4世

(1553 - 1610)

フランス王

フランス王
フランス王。ブルボン朝を開き、ユグノー戦争終結に向けて尽力した君主。
1553年にナバラ王アンリとして生まれ、1589年にフランス王アンリ4世として即位した。ユグノー戦争を終結させるためカトリックに改宗し、「パリは値する」と語った。1598年にはナントの勅令を発布し、プロテスタントに信教の自由を認めた。経済復興や道路整備に力を入れ、民衆に支持された。1610年に暗殺され、その業績はフランス近代国家形成の礎とされる。
1610年 アンリ4世 フランス 1553年
1643年

ルイ13世

(1601 - 1643)

フランス王

フランス王
フランス王。宰相リシュリューと協力し絶対王政の基礎を築いた君主。
1601年に生まれ、1610年に父アンリ4世の死去を受けて即位した。幼少期は母マリー・ド・メディシスが摂政を務め、成長後は枢機卿リシュリューを重用した。三十年戦争への参戦を決断し、フランスの国際的地位を高めた。国内では反乱の鎮圧や中央集権化を進め、絶対王政の強化に貢献した。1643年に没し、後継のルイ14世にバトンを渡した。
1643年 ルイ13世 1601年
1667年

ジョルジュ・ド・スキュデリー

(1601 - 1667)

劇作家

劇作家
17世紀フランスの劇作家。悲劇や叙事詩で知られた文学者。
1601年に生まれ、フランス宮廷で文壇の一角を担った。悲劇や叙事詩、小説など幅広いジャンルで創作を行った。代表作には『ヌメニエ皇帝の死』などがあり、華麗な文体で人気を博した。姉マドレーヌ・ド・スキュデリーと共にサロン文化の発展にも寄与した。1667年に没し、古典派文学の一翼を担った。
1667年 ジョルジュ・ド・スキュデリー 1601年
正徳5年4月12日

本多忠晴

(1641 - 1715)

江戸幕府寺社奉行、奏者番、相良藩主

江戸幕府寺社奉行 奏者番 相良藩主
江戸幕府の寺社奉行や奏者番を務めた大名・行政官。
1641年に譜代大名本多氏の家に生まれる。徳川幕府において寺社奉行や奏者番を歴任し、寺社行政と儀式運営を担当した。相良藩主として領国経営にもあたり、財政や治安の維持に努めた。将軍家との関係も深く、幕府中枢で重責を果たした。1715年に没し、幕府の安定期に功績を残した。
1715年 正徳 4月12日 本多忠晴 江戸幕府 寺社奉行 奏者番 相良藩主 1641年
1734年

ゲオルク・シュタール

(1659 - 1734)

化学者

化学者
ドイツの化学者。フロギストン説を提唱し、化学理論に大きな影響を与えた。
1659年にドイツで生まれ、ハレ大学で化学と錬金術を研究した。1713年にフロギストン説を発表し、燃焼や腐食のメカニズムを説明しようとした。『化学原理論』などの著作で科学界に新たな視点をもたらした。当時主流だった錬金術的伝統に挑戦し、近代化学への道を開いた。1734年に没し、その理論は後のラヴォアジエらによって刷新された。
1734年 ゲオルク・シュタール 1659年
1761年

トーマス・シンプソン

(1710 - 1761)

数学者、発明家

数学者 発明家
イギリスの数学者・発明家。数値積分のシンプソンの公式で知られる。
1710年に生まれ、独学で数学を学んだ後、王立協会フェローに選出された。『Fluxions』で現代的な微積分理論を紹介し、シンプソンの公式として知られる数値積分法を体系化した。光学や天文学にも関心を持ち、精密機器の製作にも携わった。学術論文や発明で18世紀の数学・物理学の発展に寄与した。1761年に没した。
1761年 トーマス・シンプソン 1710年
1780年

ピエール・モンタン・ベルトン

(1727 - 1780)

作曲家、指揮者

作曲家 指揮者
フランスの作曲家・指揮者。 パリ・オペラ・コミックで活躍し、多くのオペラ作品を手掛けた。
1727年にフランスで生まれる。 1750年代からオペラ作曲を手掛け、数多くの作品を残した。 パリ・オペラ・コミックの指揮者として劇場運営にも携わる。 革新的な楽曲構成で当時の音楽界に影響を与えた。 息子のアンリ・モンタン・ベルトンも著名な作曲家として活躍。 1780年5月14日にその生涯を閉じた。
1780年 ピエール・モンタン・ベルトン 1727年
1797年

ジョバンニ・ファニャノ

(1715 - 1797)

数学者、ファニャノの問題提起者

数学者 ファニャノの問題提起者
イタリアの数学者。 三角形の最小周長を求める「ファニャノの問題」を提起した。
1715年にイタリアで生まれ、数学の研究に従事。 特に幾何学に関心を持ち、三角形内の点を結ぶ最小周長の問題を考察。 この課題は後に「ファニャノの問題」として知られるようになる。 その問いは後世の数学者によって多くの証明と拡張がなされた。 科学史上、接地的問題の先駆けと評価されている。 1797年5月14日に亡くなった。
1797年 ジョバンニ・ファニャノ 英語版 ファニャノの問題 1715年