1972年
国鉄川俣線がこので営業運転終了。翌5月14日廃止。
国鉄川俣線が営業運転を終了し、翌日に廃止されたローカル線。
1972年5月13日、日本国有鉄道(国鉄)の川俣線が営業運転を取りやめました。
同線は福島県内を走るローカル線で、乗客減少により経営が悪化していました。
翌5月14日に正式に廃止され、これにより地域住民の交通手段が大きく変わりました。
廃止後、旧線路跡は遊歩道やサイクリングロードとして活用される区間もあります。
地域公共交通の在り方やローカル線維持の難しさを象徴する出来事です。
国鉄
川俣線
5月14日
1979年
瀬戸内しまなみ海道の大三島橋が開通。本州四国連絡橋のなかで最初に架橋された。
瀬戸内しまなみ海道の大三島橋が開通し、本四連絡橋で最初に完成した。
1979年5月13日、瀬戸内海の多島美を結ぶしまなみ海道の大三島橋が開通しました。
この橋は本州四国連絡橋網の一部として、初めて完成した区間です。
全長約1,030メートルの吊り橋で、大三島と伯方島を結びました。
開通により、広島県と愛媛県間の移動が飛躍的に向上し、地域の観光・経済発展に寄与しました。
現在ではサイクリングロードとしても人気を集め、観光資源となっています。
1979年
瀬戸内しまなみ海道
大三島橋
本州四国連絡橋
1987年
JR東日本が国電に代わる呼称を「E電」とすることを発表。
JR東日本が通勤電車の愛称を「E電」に変更すると発表し、ブランド刷新を図った。
1987年5月13日、東日本旅客鉄道(JR東日本)は通勤電車の愛称を「国電」から「E電」に変更すると発表しました。
「E電」は「新しい電車(E for East/Electric)」のイメージを打ち出し、イメージ刷新を図ったものです。
社内外で愛称変更の是非が議論され、新刻印サボの導入や車内放送への反映が進められました。
しかし、利用者やファンの間では旧称への愛着も根強く、定着度は地域や世代でバラつきが見られました。
この発表はJR発足後のブランディング戦略の一環として注目されました。
1987年
JR東日本
国電
E電
2007年
日本初のPFI方式による刑務所・美祢社会復帰促進センターが開所。
日本初のPFI方式で建設された美祢社会復帰促進センターが開所し、新たな刑務所運営モデルが始まった。
2007年5月13日、日本で初めてPFI方式を用いた刑務所「美祢社会復帰促進センター」が山口県美祢市に開所しました。
PFI(Private Finance Initiative)は民間資金を活用して公共施設を建設・運営する仕組みで、コスト削減や効率化が期待されました。
美祢センターでは国と民間事業者が施設管理や食事、医療サービスなどを共同で提供する体制が整えられました。
入所者の社会復帰支援プログラムでは職業訓練やカウンセリングが重視され、再犯防止を目指す取り組みが特徴的でした。
この開所を機に、刑務所運営における民間連携の可能性や課題が広く議論されるようになりました。
2007年
PFI
刑務所
美祢社会復帰促進センター