1373年
ノリッジのジュリアンが、後に『神の愛の十六の啓示』としてまとめられる幻視を見る。
イングランドの女修道士ノリッジのジュリアンが神からの啓示とされる幻視を体験しました。
ノリッジのジュリアンは14世紀のイングランドで活動したキリスト教の修道女で、1373年5月13日に神の愛に関する16の幻視を受けたと伝えられています。これらの幻視は後に『神の愛の十六の啓示(Revelations of Divine Love)』としてまとめられ、英語で書かれた最古の神秘主義文学とされています。書物の原本は現存せず、断片的な写本が中世以降に伝えられました。彼女の著作は女性による中世英文学の先駆けとしても重要視され、その神学的洞察と慈愛のメッセージは後世の宗教思想に影響を与えました。近代になって再評価され、多くの翻訳版が発行されています。
1373年
ノリッジのジュリアン
幻視
英語版
応永4年4月16日
金閣寺の上棟式。
室町幕府第3代将軍・足利義満が建設した北山山荘(後の金閣寺)で上棟式が行われました。
1397年に北山山荘の上棟式が執り行われ、後に金閣寺として知られる建物の骨組みが完成しました。足利義満の退官後の居所として計画されたこの建築は、豪華絢爛な金箔張りの外観と周囲の庭園との調和が特徴です。建築様式は禅宗様、書院造、寝殿造の3層構造で、それぞれ異なるデザインが施されています。この上棟式は室町文化の象徴的な出来事として、後世に金閣寺が世界的に著名な文化財となる基盤を築きました。
1397年
応永
4月16日
金閣寺
慶長17年4月13日
宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で決闘(『二天記』による)。
剣豪・宮本武蔵が巌流島(元・船島)で佐々木小次郎と伝説の決闘を行いました。
慶長17年(1612年)4月13日、剣豪の宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で一騎討ちを行ったと伝えられています。武蔵は木刀(木製の太刀)を用い、相手の流星の太刀を防いで決定的な一太刀を浴びせたとされます。小次郎は名高い技『燕返し』で知られていましたが、最終的には敗れて命を落としました。史実としての詳細は諸説あり、『二天記』以外の資料からは異なる日付や場所が示されることもあります。この逸話は後世の文芸・映画・演劇でもたびたび題材とされ、剣豪文化の象徴的エピソードとなっています。
1612年
慶長
4月13日
宮本武蔵
佐々木小次郎
巌流島
二天記
1648年
デリーの赤い城が完成。
ムガル帝国のシャー・ジャハーンが建設を進めたデリーのレッド・フォートが完成しました。
レッド・フォート(赤い城、ラール・キラー)はムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが1638年に建設を開始し、1648年に完成した要塞兼宮殿です。赤砂岩を用いた重厚な城壁や繊細な装飾が特徴で、当時のムガル建築の最高傑作とされています。内廷には豪華な宮殿群や広大な庭園が配され、帝国の権力を象徴しました。インド独立運動時にはレッド・フォートの壁から独立宣言が発せられるなど、近代史でも重要な舞台となりました。現在はユネスコの世界遺産にも登録され、インドの歴史的観光名所となっています。
1648年
デリー
赤い城
1833年
メンデルスゾーンの交響曲第4番がロンドンで作曲者自身の指揮により初演される。
ドイツの作曲家メンデルスゾーンが交響曲第4番「イタリア」を自ら指揮してロンドンで初演した出来事です。
フェリックス・メンデルスゾーンはドイツのロマン派を代表する作曲家です。1833年5月13日、彼の交響曲第4番『イタリア』がロンドンで初演されました。メンデルスゾーン自身が指揮台に立ち、明るく躍動感あふれる曲想を現地の聴衆に披露しました。『イタリア』は地中海での旅の印象を音楽で表現した作品で、軽快なリズムと華やかなオーケストレーションが特徴です。初演は大きな成功を収め、同曲はすぐに彼を代表する人気作となりました。以降も欧米各地で高い評価を受け続けています。
1833年
メンデルスゾーンの交響曲第4番
ロンドン
1848年
フィンランドの国歌「我等の地」が初めて演奏される。 聴く
フィンランドの国歌『我等の地』が初演され、国民的愛唱歌として定着した日。
フィンランドの国歌『我等の地(Maamme)』は詩人ヨハン・ルードヴィヒ・ルーネベリの詩にフレドリック・パシウスが曲をつけた作品です。1848年5月13日、ヘルシンキで開かれた演奏会で初めて演奏されました。軽快で荘厳な旋律は国民に深い感銘を与え、愛国歌として広まりました。やがて公式な国歌ではないものの、実質的にフィンランド独立後の国歌として定着しました。以降も祝賀行事や式典で欠かせない一曲となっています。
1848年
フィンランド
我等の地
聴く