長承2年4月7日

法然

(1133 - 1212)

僧、浄土宗の開祖・祖師

浄土宗の開祖・祖師
日本の鎌倉時代初期の僧で、浄土宗の開祖。念仏を唱える法を広め、日本の浄土教に大きな影響を与えた。
1133年美作国(現在の岡山県)に生まれる。比叡山延暦寺で修行後、念仏を中心とした浄土信仰を確立し、専修念仏の教えを説く。1211年に『選択本願念仏集』を著し、誰でも念仏によって往生できると説いた。弟子に親鸞をはじめとする門弟が多く、鎌倉時代の仏教界に新風を巻き起こした。浄土宗は後に日本三大新宗派の一つとして広く信仰を集め、その影響は現代にまで及ぶ。
1133年 長承 4月7日 法然 浄土宗 1212年
1588年

オーレ・ヴォーム

(1588 - 1654)

医師、博物学者

医師 博物学者
デンマークの医師・博物学者。豊富な標本コレクションと博物学的研究で知られた。
1588年にコペンハーゲン近郊で生まれる。コペンハーゲン大学の医学教授として解剖学や植物学の研究を行い、多岐にわたる博物標本を収集。独自に設立した『古物博物館』にアンモナイトや民族遺物など数千点を展示し、後の自然史博物館の先駆けとなる。古代ルーン文字にも関心を持ち、碑文の研究で知られる。著書『博物学全集』では、自身の収集品に基づく観察を体系的にまとめ、17世紀ヨーロッパの知的風土に大きな影響を与えた。1654年に没。
1588年 オーレ・ヴォーム 医師 博物学者 1654年
1655年

インノケンティウス13世

(1655 - 1724)

第244代ローマ教皇

第244代ローマ教皇
第244代ローマ教皇。教皇職を通じて教会改革と財政再建を図った。
1655年にローマの貴族コント家に生まれる。神学と法学を学び教皇インノケンティウス12世の下で枢機卿を務める。1721年に教皇に選出され、『インノケンティウス13世』と称する。教権の強化と教会財政の立て直しに努め、腐敗撲滅を掲げて宗教裁判や異端審問を維持しつつ中央集権化を進めた。1724年に在位3年で死去し、教会改革の礎を築いた。
1655年 インノケンティウス13世 ローマ教皇 1724年
明暦3年3月30日

戸田氏定

(1657 - 1733)

第4代大垣藩主

第4代大垣藩主
江戸時代の大名で、第4代大垣藩主。幕藩体制下で藩政を担当した。
1657年に美濃国大垣藩主戸田氏永の子として生まれ、第4代藩主を襲爵。藩政では財政改革を推進し、農業振興や治水事業を重視した。領内の石高と生産性の向上に努め、兵制や検地を整備して藩の安定を図る。幕府への忠誠を示し、江戸幕府との関係を円滑に保った。1733年に死去。
1657年 明暦 3月30日 戸田氏定 大垣藩主 1733年
寛文11年4月5日

森長成

(1671 - 1697)

第4代津山藩主

第4代津山藩主
江戸時代の大名で、第4代津山藩主。城下町の整備と治水に注力した。
1671年に津山藩主森忠成の子として生まれ、幼くして第4代藩主を継承。藩財政の再建に取り組み、城下町の都市計画や治水工事を実施した。新田開発を奨励し、農業生産性を向上させることで領民の暮らしを安定させた。学問奨励にも努め、藩校や寺子屋を支援。1697年に病没。
1671年 寛文 4月5日 森長成 津山藩主 1697年
1699年

セバスティアン・デ・カルヴァーリョ

(1699 - 1782)

政治家

政治家
ポルトガルの政治家。ポンバル侯として啓蒙専制君主制を推進した。
1699年にポルトガルで生まれ、外交官や宮廷役人を歴任。1750年にポンバル侯として実質的に首相となり、1755年のリスボン地震復興や財政改革を指揮した。貴族特権の制限や産業振興、商業保護主義を推進し、啓蒙的専制君主制を展開。イエズス会の追放や司法改革など強権的手法で改革を断行し、ポルトガル近代化の基礎を築いた。1782年に死去。
1699年 セバスティアン・デ・カルヴァーリョ 政治家 1782年
宝永6年4月4日

毛利広豊

(1709 - 1773)

第5代徳山藩主

第5代徳山藩主
江戸時代の大名で、第5代徳山藩主。領内経営と治水に努めた。
1709年に徳山藩主毛利秀元の嫡男として生まれ、第5代藩主に就任。藩政では商業振興と治水事業に力を入れ、河川改修や新田開発を推進。産業育成のため藩内に製塩所を整備し、藩財政の安定化を図った。領民福祉にも配慮し、救済事業や教育支援を実施。1773年に没。
1709年 宝永 4月4日 毛利広豊 徳山藩主 1773年
1717年

マリア・テレジア

(1717 - 1780)

オーストリア大公、マリー・アントワネットの母

オーストリア大公 マリー・アントワネットの母
ハプスブルク家出身のオーストリア大公。啓蒙専制君主として国家改革を推進した。
1717年にハプスブルク家の一員としてウィーンで生まれる。1740年に大公位を継承し、オーストリア継承戦争を経て統治を確立。行政・財政・軍制改革を断行し、中央集権化を進める一方、教育や医療の整備を推進した。夫フランツ1世との間に16人の子をもうけ、その中の一人にフランス王妃マリー・アントワネットがいる。長期にわたり君主として統治にあたり、ハプスブルク領の近代化を達成。1780年に死去した。
1717年 マリア・テレジア オーストリア大公 マリー・アントワネット 1780年
1730年

チャールズ・ワトソン=ウェントワース

(1730 - 1782)

政治家、イギリス首相

政治家 イギリス首相
イギリスの政治家で、第2代ロックギン侯及び英首相を2度務めた。
1730年にイギリス貴族の家に生まれる。第2代ロックギン侯としてホイッグ党に属し、1765年と1782年の2度、首相に就任。植民地政策の見直しやアメリカ植民地への譲歩を主張し、米大陸植民地問題の緩和を図った。自由貿易や法の支配を重視し、党内で進歩的な立場をとった。短期間ながら内政・外交改革に取り組み、英国政治史に影響を残した。1782年に死去。
1730年 チャールズ・ワトソン=ウェントワース イギリス首相 1782年
1753年

ラザール・カルノー

(1753 - 1823)

政治家、数学者

政治家 数学者
フランス革命期の政治家・数学者。『勝利の組織者』の異名を持つ。
1753年にフランスで生まれ、エコール・ポリテクニークで数学と土木工学を学ぶ。革命期には国防委員会に属し、軍隊の再編と補給体制の整備を指揮。ナポレオン戦争では『勝利の組織者』として知られ、政府の財政管理にも手腕を発揮した。数学者としては幾何学や微積分の研究を行い、工学的視点から理論と実務を結びつけた。王政復古後も政治活動を続け、1823年に死去した。
1753年 ラザール・カルノー 数学者 1823年
1756年

ヴォイチェフ・アダルベルト・ジヴヌィ

(1756 - 1842)

音楽家

音楽家
チョパンの師として知られるポーランドの作曲家・ピアニスト。
1756年にチェコ系の家庭に生まれたヴォイチェフ・ジヴヌィは、ワルシャワで演奏活動を行い、才能あるピアニストとして名声を博しました。 1823年からはフレデリック・ショパンのピアノ教師を務め、その指導は後の巨匠の音楽性に大きな影響を与えました。 作曲家としてもピアノ小品や教則練習曲などを残し、音楽教育の発展に寄与しました。 1842年にワルシャワで逝去し、その献身的な教育活動は今なお高く評価されています。
1756年 ヴォイチェフ・アダルベルト・ジヴヌィ 音楽家 1842年
1764年

ローラン・グーヴィオン=サン=シール

(1764 - 1830)

軍人、フランスの元帥

軍人 フランスの元帥
ナポレオン戦争期のフランス元帥、軍指導者。
1764年に生まれたグーヴィオン=サン=シールは、フランス革命戦争からナポレオン戦争にかけて活躍した優れた軍人です。 数々の戦役で指揮を執り、1809年には元帥(Marshal of France)に任命されました。 1812年のロシア遠征やその後の欧州戦線での功績が評価され、戦略家としての名声を確立しました。 戦後は戦争大臣として軍制改革にも携わり、1830年にその生涯を閉じました。
1764年 ローラン・グーヴィオン=サン=シール 軍人 フランス 元帥 1830年