天正4年4月14日

石山合戦: 織田信長方が石山本願寺を包囲。

織田信長が石山本願寺を包囲した石山合戦が始まった日です。
1576年5月12日(天正4年4月14日)、織田信長は本願寺勢力を制圧するため石山本願寺への包囲を開始しました。 この戦いは長期化し、本願寺門徒と織田軍の対立が続く顕著な事例となりました。 石山合戦は、戦国時代の宗教勢力と統一政権の衝突を象徴し、大阪・石山本願寺が舞台となりました。 後の顕如上人との和議まで10年以上に及ぶ抗争が続き、信長の全国統一事業への障壁となりました。 当時の戦略・兵站の様相を知るうえでも重要な合戦です。
1576年 天正 4月14日 石山合戦 織田信長 石山本願寺
1588年

ユグノー戦争: ギーズ公アンリ1世がパリに入城し、アンリ3世が逃亡。(バリケードの日)

「バリケードの日」として知られる、ギーズ公アンリ1世がパリを掌握した日です。
1588年5月12日、カトリック教徒の指導者ギーズ公アンリ1世はパリ市民と共にバリケードを築き、アンリ3世を市外へ退去させました。 この事件はユグノー戦争(宗教戦争)の一幕で、ヴァロワ朝王権の弱体化を示す象徴的事件となりました。 アンリ1世は母カトリーヌ・ド・メディシスの後ろ盾を得て行動し、パリの支配権を掌握。 その後、政治的緊張はさらに高まり、フランス内戦の激化につながりました。 当時の市民運動と軍事力の融合を考えるうえで重要な転換点です。
1588年 ユグノー戦争 ギーズ公アンリ1世 アンリ3世
1689年

ウィリアム王戦争: イングランド王ウィリアム3世がアウクスブルク同盟側について参戦。

ウィリアム3世が大陸ヨーロッパの連合軍側に参戦し、ウィリアム王戦争が本格化した日です。
1689年5月12日、イングランド王ウィリアム3世(オレンジ公)はルイ14世に対抗してアウクスブルク同盟側に参戦しました。 この参戦により、イギリスは欧州大陸の勢力均衡に本格的に介入し、9年戦争の一環としてフランスと対峙。 同盟は神聖ローマ帝国、オランダ共和国、イングランドなど複数国で構成され、ルイ14世の拡張政策を抑える狙いがありました。 海軍力と新興勢力としてのイギリスの参戦は、戦争の帰趨を左右しました。 ウィリアム3世の決断は英国の国際秩序への関与を深める転機ともなりました。
1689年 ウィリアム王戦争 ウィリアム3世 アウクスブルク同盟
1797年

ノアの反乱起こる。

1797年 ノアの反乱
1863年

南北戦争: レイモンドの戦い。

南北戦争中、ミシシッピ州レイモンドで北軍と南軍が激突したレイモンドの戦いが行われた日です。
1863年5月12日、南北戦争の一環であるヴィックスバーグ作戦中にレイモンドで戦闘が発生しました。 北軍のジェームズ・B・マクファーソン将軍率いる部隊が南軍のジョン・C・ペンバートン将軍軍と衝突。 北軍は決定的な勝利を収め、ヴィックスバーグ包囲戦への道を切り開きました。 この戦いはミシシッピ川制圧の鍵を握り、連合国軍(北軍)の戦略的優位を確立する上で重要でした。 同作戦は後の南北戦争の帰趨を大きく左右する転換点となりました。
1863年 南北戦争 レイモンドの戦い
1865年

南北戦争: パルメット農場の戦いが始まる。

南北戦争最後の戦闘とされるパルメット農場の戦いが始まった日です。
1865年5月12日、テキサス州ブラウンズヴィル近郊でパルメット農場(Palmito Ranch)の戦いが勃発しました。 アメリカ連合国(南軍)と北軍の間で行われ、公式には南北戦争終結後に起きた最後の戦闘とされています。 南軍はこの戦闘で勝利を収め、戦略的には大規模な影響はなかったものの象徴的な出来事となりました。 両軍の兵力は限定的であり、遠隔地での小規模衝突でしたが、戦争の歴史的結末を語るうえで欠かせないエピソードです。 この戦いはアメリカ史上最後の南北戦争戦闘として記憶されています。
1865年 パルメット農場の戦い
1918年

イギリス海軍に徴発された客船オリンピック号がドイツ潜水艦U 103を体当たりで沈める。

第一次世界大戦中、イギリス海軍に徴用された客船オリンピック号がUボートを体当たりで沈めました。
1918年5月12日、イギリス海軍に徴発されたホワイト・スター・ライン社の豪華客船オリンピック号は、ドイツ潜水艦U 103を発見しました。 敵潜水艦を回避行動とは逆方向に突入し、体当たりで撃沈しました。 この大胆な戦術は民間船を軍事目的に転用した例として注目され、乗員乗客の安全確保と戦果の両立を図った稀有な事例です。 戦後には旅客運航に復帰し、姉妹船タイタニック号同様に歴史に名を残しました。 武装客船としての記録は、両大戦期の海戦史においても特異なエピソードとして語り継がれています。
1918年 オリンピック号 ドイツ潜水艦 U-103
1927年

ニカラグアでサンディーノがアメリカ合衆国の軍事占領に対してゲリラ戦を開始する。

サンディーノがニカラグアで米軍占領に対するゲリラ戦を開始しました。
1927年5月12日、ニカラグアで民族主義者アウグスト・サンディーノがアメリカ合衆国の軍事占領に反発し、ゲリラ戦を宣言しました。 少数の部隊でジャングルを拠点にし、米海兵隊や傀儡政府軍に対抗しました。 彼の戦術は持久戦と心理戦を組み合わせたもので、地元農民の支持を集めることに成功。 サンディーノは国民的英雄として崇拝され、後の反帝国主義運動や中米革命に大きな影響を与えました。 彼の闘争は現代においても抵抗運動の象徴として語り継がれています。
1927年 ニカラグア
1942年

第二次世界大戦・独ソ戦: 第二次ハリコフ攻防戦が始まる。

第二次世界大戦中、東部戦線の重要な戦い、第二次ハリコフ攻防戦が始まりました。
1942年5月12日、ドイツ軍とソ連軍の間で第二次ハリコフ攻防戦が勃発しました。 ハリコフはウクライナ北部に位置し、戦略的要衝として両軍の激しい攻防が繰り広げられました。 ドイツ軍は都市占領と資源獲得を目指し、ソ連軍は反攻を試みました。 この戦いは東部戦線全体の勢力均衡を左右する重要な局面となりました。 最終的には徐々にドイツ軍の制圧が進みましたが、ソ連軍の抵抗は執拗で多大な犠牲が出ました。
1942年 第二次世界大戦 独ソ戦 第二次ハリコフ攻防戦
1975年

ベトナム戦争: マヤグエース号事件。アメリカの商船「マヤグエース号」がカンボジアによって拿捕。

1975年5月12日、ベトナム戦争末期に米商船マヤグエース号がカンボジア軍に拿捕されました。
1975年5月12日、カンボジア人民党ゲリラ勢力により、アメリカ商船マヤグエース号が拿捕された。 乗組員は人質として拘束され、船舶の解放を巡り米軍との緊張が高まった。 アメリカ政府は直後に武力行使を決定し、マヤグエース作戦を発動した。 5月15日にカンボジア領コー・トーン島を米軍が急襲し、人質救出作戦を実施。 この事件はベトナム戦争の最後の大規模軍事行動とされ、米軍の威信回復を目的とした。
1975年 ベトナム戦争 マヤグエース号事件 拿捕
2022年

ロシアのウクライナ侵攻が欧州の安全保障を脅かしているとして、 フィンランドのサウリ・ニーニスト大統領とサンナ・マリン首相が、北大西洋条約機構(NATO)への加盟支持を表明した。

フィンランドの指導者がNATO加盟支持を表明し、安全保障政策を転換した。
2022年5月12日、フィンランドのサウリ・ニーニスト大統領とサンナ・マリン首相は、ロシアによるウクライナ侵攻が欧州の安全保障を脅かしていると声明。 両首脳は北大西洋条約機構(NATO)への加盟支持を公式に表明した。 これまで中立政策を維持してきたフィンランドにとって大きな転換となり、国際社会に衝撃を与えた。 加盟プロセスには国会承認や住民投票が必要であり、今後の審議が注目された。 ロシアとの国境を共有するフィンランドの動きは、北欧地域の安全保障環境に大きな影響を及ぼした。
ロシア ウクライナ侵攻 フィンランド サウリ・ニーニスト サンナ・マリン 北大西洋条約機構