1874年
東海道本線の大阪駅 神戸駅間が仮開業。
東海道本線の大阪-神戸間が暫定的に開業し、関西の鉄道網が拡大。
1874年5月11日、明治政府が整備を進める東海道本線で大阪駅から神戸駅間が仮開業。
初代の蒸気機関車による運行が始まり、人と物資の移動が飛躍的に向上。
明治期の近代化政策の一環として鉄道網が拡大し、工業化と都市成長を促進。
従来の船舶輸送に代わり陸上輸送が主流となり、関西経済圏の連携が深化。
この路線は後に正式開業し、日本の大動脈として現在に至る。
1874年
東海道本線
大阪駅
神戸駅
1912年
信越本線・横川 軽井沢の碓氷峠越えの区間が電化。日本の幹線での初の電化区間。
信越本線の難所・碓氷峠越え区間が電化され、日本の幹線鉄道で初の電化区間となりました。
1912年5月11日、横川から軽井沢までの碓氷峠越え区間が電化されました。
それまで蒸気機関車による運行が主流だった幹線鉄道において、初めて電気動力が導入された歴史的出来事です。
この電化により勾配のきつい峠道でも安定した運行が可能となり、所要時間の短縮や運行コストの削減が期待されました。
技術的には当時最先端の交流電気機関車が採用され、鉄道技術の進歩を印象づけました。
後の鉄道電化の先駆けとして、その意義は非常に大きいものがあります。
1912年
信越本線
横川
軽井沢
碓氷峠
幹線
1937年
大阪・御堂筋の拡張工事が完了。幅5.5メートルの道路を44メートルに拡幅。
大阪・御堂筋の拡張工事が完了し、道路幅を5.5メートルから44メートルに拡幅しました。
1937年5月11日、大阪市の中心部を走る主要幹線道路・御堂筋の拡張工事が完了しました。
戦前の狭小な道路幅(約5.5メートル)を一気に44メートルまで拡幅し、都市景観と交通容量を大幅に改善しました。
完成後は車両交通だけでなく歩行者空間も充実し、都市計画上重要なモデルケースとなりました。
御堂筋は大阪の象徴的な通りとして発展を続け、現在も多くのイベントやパレードに使用されています。
道路整備の成功例として、他都市の都市計画にも大きな影響を与えました。
1937年
御堂筋
1955年
国鉄宇高連絡船・紫雲丸が第三宇高丸に衝突し沈没、修学旅行中の児童ら168人が死亡する紫雲丸事故が発生。この大惨事が瀬戸大橋建設のきっかけになる。
国鉄宇高連絡船「紫雲丸」が衝突沈没し、168人が犠牲となる大事故が発生しました。
1955年5月11日、国鉄宇高連絡船「紫雲丸」が第三宇高丸と衝突し瀬戸内海で沈没しました。
この事故で修学旅行中の児童ら合わせて168名が死亡・行方不明となり、戦後最大級の海難事故となりました。
事故調査では航路管理の不備や運航時の判断ミスが指摘され、運輸安全対策の重要性が浮き彫りになりました。
惨事の衝撃は社会に大きな悲しみを呼び、海上交通の安全基準見直しが進められました。
また、この事故を契機に瀬戸大橋構想が再検討され、将来の交通網強化へとつながりました。
1955年
国鉄
宇高連絡船
紫雲丸
第三宇高丸
沈没
紫雲丸事故
瀬戸大橋
1996年
バリュージェット航空592便墜落事故。
1996年に発生したバリュージェット航空592便の墜落事故。乗客乗員全員が犠牲となった悲劇的な出来事。
1996年5月11日、フロリダ州マイアミ空港を離陸したバリュージェット航空592便は飛行中に貨物室から発生した火災が原因で制御を失い、エバーグレーズ湿原に墜落しました。この事故で乗客と乗員合わせてすべての搭乗者が死亡し、合計110名以上の命が失われました。調査の結果、空調ダクト内にあった塗料溶剤が揮発し引火したことが原因と判明し、危険物取り扱いの規制強化が求められました。事故後、FAA(連邦航空局)は貨物室の消火システム改良や危険物運搬基準の見直しを実施し、航空機の安全性向上に繋げられました。
1996年
バリュージェット航空592便墜落事故