330年

コンスタンティノポリスの落成式が執り行われる。

コンスタンティノプル(旧ビザンティオン)がローマ帝国の新都として公式に落成した記念日。
ローマ皇帝コンスタンティヌス1世は330年5月11日に、ビザンティオンをコンスタンティノプルと改名し新都の落成式を挙行。 新たな東西政権の中心として位置づけられ、後の東ローマ帝国(ビザンティン帝国)千年王朝の始まりを象徴する重要な出来事。 戦略的に要所であるボスポラス海峡に築かれた都市は、政治・経済・文化のハブとなった。 ローマからの旧都機能の移転は帝国の分裂と東方重視の転換を示す。 この日が中世ヨーロッパとオスマン帝国をつなぐ歴史の大きな節目となった。
330年 コンスタンティノポリス
大化5年3月25日

謀叛の疑いをかけられた右大臣蘇我倉山田石川麻呂が、中大兄皇子に攻められ山田寺で自害。

蘇我氏の有力者である蘇我倉山田石川麻呂が謀反の疑いで追討され、自害に追い込まれた事件。
645年の乙巳の変以降、蘇我氏は王権をめぐる政争の中心にいた。 大化5年3月25日(649年5月11日)、右大臣の蘇我倉山田石川麻呂に謀反の疑いがかけられる。 中大兄皇子らに追討された麻呂は、大阪府高槻市の山田寺へ逃れるが抵抗虚しく自害。 この事件は蘇我氏の勢力衰退とともに中大兄皇子による権力集中、後の大化改新へとつながる。 政治的対立が激化した飛鳥時代の政変として知られる。
649年 大化 3月25日 蘇我倉山田石川麻呂 中大兄皇子 山田寺
912年

アレクサンドロスが東ローマ皇帝に即位。

東ローマ帝国のアレクサンドロス帝が皇位を継承して正式に即位した。
バシレイオス1世の系統を引く皇族の一員、アレクサンドロスは先代皇帝レオ6世の治世を補佐。 912年5月11日に皇帝を正式に継承し、自身の治世を開始。 即位後はブルガリアとの紛争処理や内政改革に取り組む。 短期間の治世ながらも、宮廷内の権力闘争と貴族勢力の調整が課題となった。 ビザンティン帝国の歴史における過渡期を象徴する出来事である。
912年 アレクサンドロス
1189年

神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が十字軍を率いてレーゲンスブルクを出陣した。

フリードリヒ1世(バルバロッサ)が第三回十字軍遠征を開始し、レーゲンスブルクを出発。
1189年5月11日、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世は十字軍遠征の旗を掲げ、レーゲンスブルクから出陣。 エルサレム奪還を目指す第3回十字軍の一翼を担い、東欧から地中海へ至る遠征路を選択。 参加者には騎士団や領主が名を連ね、ヨーロッパ全土から兵を集結。 荒野や山岳を越える厳しい行軍を経て、聖地到達を目指す。 バルバロッサは後にアンティオキア付近で溺死し、遠征に大きな影響を与えた。
1189年 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世 レーゲンスブルク
1745年

オーストリア継承戦争: フォントノワの戦い

オーストリア継承戦争中、フランス軍と英蘭連合軍がフォントノワで激突した戦い。
1745年5月11日、オーストリア継承戦争の主要戦闘の一つ、フォントノワの戦いが開戦。 フランス軍は将軍モーリス・ド・サックスの指導のもと、英蘭連合軍の撃破を狙う。 激戦の末、フランス軍が立てこもり陣地から連合軍を排除し勝利を収めた。 この勝利によりフランスはライン方面での優位を確立し、戦局に影響。 フォントノワは18世紀戦術の変化を象徴する戦闘とも評される。
1745年 オーストリア継承戦争 フォントノワの戦い
1812年

イギリス首相スペンサー・パーシヴァルが暗殺される。

英国史上唯一、在職中に暗殺された首相スペンサー・パーシヴァルが凶刃に倒れた。
1812年5月11日、ロンドン下院前廊で首相スペンサー・パーシヴァルが銃撃を受け暗殺。 暗殺者は海運業者ジョン・ベリングハムで、個人的怨恨を訴えた動機とされる。 被弾したパーシヴァルはその場で死亡し、英国史上唯一の現職首相暗殺事件となる。 事件は国内外に衝撃を与え、治安対策や保守政権への批判が高まった。 司法と政治が交錯した稀有な事件として史書に記録される。
1812年 イギリス スペンサー・パーシヴァル
1858年

ミネソタ準州の東半分が州に昇格してアメリカ合衆国32番目の州・ミネソタ州となる。

アメリカ合衆国のミネソタ州が正式に成立し、32番目の州に昇格した。
1858年5月11日、ミネソタ準州東半分が州憲法を批准し、連邦議会に承認され32州目のミネソタ州として加盟。 地域は主にミシシッピ川以西の開拓地で、入植者の増加と鉄道建設に伴い人口が急増。 州都の議論を経てセントポールが選定され、都市化と農業発展が進行。 州昇格により自治権が拡大し、地方政府の整備が本格化。 アメリカ西部開拓史における重要なマイルストーンとなった。
1858年 ミネソタ準州 アメリカ合衆国 ミネソタ州
1867年

ロンドン条約によってルクセンブルクが独立。

ロンドン会議でルクセンブルクの独立と永世中立が国際的に承認された。
1867年5月11日、ロンドン条約が締結され、プロイセンの影響下にあったルクセンブルクの主権が回復。 条約により国際的な永世中立が保証され、要塞は段階的に解体されることに。 ルクセンブルク危機を経て欧州列強が関与した多国間協議の成果。 以後、同国は第二次大戦まで中立国家としての地位を維持。 小国家ながらも地政学上の要衝としての役割を残した。
1867年 ロンドン条約 ルクセンブルク
1874年

東海道本線の大阪駅 神戸駅間が仮開業。

東海道本線の大阪-神戸間が暫定的に開業し、関西の鉄道網が拡大。
1874年5月11日、明治政府が整備を進める東海道本線で大阪駅から神戸駅間が仮開業。 初代の蒸気機関車による運行が始まり、人と物資の移動が飛躍的に向上。 明治期の近代化政策の一環として鉄道網が拡大し、工業化と都市成長を促進。 従来の船舶輸送に代わり陸上輸送が主流となり、関西経済圏の連携が深化。 この路線は後に正式開業し、日本の大動脈として現在に至る。
1874年 東海道本線 大阪駅 神戸駅
1891年

大津事件: 琵琶湖を遊覧したロシア皇太子(後のロシア皇帝ニコライ2世)が、大津にて警護にあたっていた滋賀県警察巡査の津田三蔵に斬りつけられ、頭部を負傷。

ロシア皇太子ニコライが大津で日本の巡査に襲撃され負傷した、日露関係に影響を与えた事件。
1891年5月11日、皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が琵琶湖遊覧中、大津で巡査津田三蔵に斬りつけられる。 津田は個人的怨恨を動機とした行動とされ、皇太子は軽傷で済んだ。 日本政府は全権大使の処罰検討や賠償問題でロシアと外交交渉を行い、大きな国際問題に。 津田は死刑判決を受けるが免ぜられ終身刑となり、司法と外交の課題を露呈。 後の露日関係に微妙な影を落とした歴史的事件。
1891年 大津事件 琵琶湖 ニコライ2世 滋賀県
1910年

初の沖縄県会議員選挙。

1910年に沖縄で初めて開催された県会議員選挙です。沖縄の政治参加の歴史的転機となりました。
沖縄県の地方政治における最初の議員選挙として1910年5月11日に実施されました。 それまで日本本土とは異なる形態が続いていた沖縄での近代的な選挙制度導入を象徴する出来事です。 有権者は限られていたものの、初の民主的手続きを経験しました。 この選挙は後の沖縄県政発展や地方自治の確立に向けた礎となりました。 現在の沖縄県議会の歴史はこの時に始まったと言えます。
1910年
1910年

グレイシャー国立公園創設。

アメリカ北部に位置するグレイシャー国立公園が創設されました。美しい氷河地形で知られます。
1910年5月11日、モンタナ州とカナダの国境付近にグレイシャー国立公園が設立されました。 険しい山岳地帯や多くの氷河を有する風景は、国立公園として保護されるにふさわしい自然美を示しています。 公園内には約1000を超える湖や数百の滝が点在し、多様な野生動物も生息しています。 設立当初から多くの観光客を惹きつけ、今日でも人気の高い観光地となっています。 環境保護と観光資源としての価値が高く評価される代表的な国立公園の一つです。
1910年 グレイシャー国立公園