1877年

イキケ地震: Mw 8.7、死者2,400人

1877年5月10日、チリ北部でマグニチュード8.7のイキケ地震が発生し、約2,400人が犠牲となりました。
震源は太平洋沿岸のイキケ沖とされ、強い揺れと大規模な津波が沿岸部を襲いました。イキケ市街を中心に多くの建物や港湾施設が倒壊し、漁村も壊滅的な被害を受けました。津波は数メートルの高さに達し、内陸部にも洪水被害をもたらしました。地震後の救援は地理的条件や通信手段の未発達から困難を極め、被災者支援は隣国からの援助も含め遅れました。この災害はチリにおける地震学研究と防災対策の重要性を浮き彫りにし、後の建築基準や避難計画の見直しにつながりました。
1877年 イキケ地震 Mw
1936年

静岡県立浜松第一中学校(現静岡県立浜松北高等学校)で、運動会終了後に配られた大福餅を食べた生徒、教員、その家族ら2000人以上が翌日以降に食中毒を発症、44人が死亡する大事件が発生。

1936年5月10日、静岡県立浜松第一中学校(現浜松北高校)で配られた大福餅を食べた2000人以上が食中毒を発症し、44人が死亡する事故が発生しました。
1936年5月10日、運動会の終了後に生徒や教職員、その家族らに大福餅が振る舞われました。大福は十分な加熱が行われず、保存中に細菌が繁殖して毒素が生成されていました。翌日から発症者が相次ぎ、2000人以上が激しい嘔吐や下痢などの症状を訴えました。医療機関は緊急対応に追われ、一部の患者は重症化しましたが、適切な治療により多くは回復しました。しかし44人が命を落とすという痛ましい結果となりました。事件後、学校給食や食品衛生管理の基準見直しが進められ、食中毒防止の意識が全国的に高まりました。
1936年 静岡県立浜松北高等学校
1949年

北海道古平町で大火。597戸が全焼。

北海道古平町で発生した大規模な火災で、約600戸が全焼した悲惨な出来事です。
1949年5月10日未明、北海道古平町中心部で火災が発生しました。町を襲った強風に煽られた火はわずか数時間で600戸近くを飲み込み、一帯を焼き尽くしました。住民は避難を余儀なくされ、数多くの家屋と家財が失われました。当時の消防力や通信網の未整備により消火活動は困難を極めました。被災者は仮設住宅での生活を余儀なくされ、復興には長い時間を要しました。地域の絆が力となり、やがて新しい街並みが形成されました。
北海道 古平町