1876年
上野公園の開園式。日本初の公園に指定。
日本初の公園として上野公園の開園式が行われました。
1876年5月9日、東京・上野に日本初の公園として認定された上野公園の開園式が開催されました。
開園式には政府関係者や文化人が参加し、西洋式公園のモデルとして整備されました。
桜並木や散策路、動物園の前身となる施設が設置され、市民の憩いの場として親しまれました。
それまで寺社の境内に限られていた公園文化が広がるきっかけとなりました。
現在も多くの観光客が訪れる東京の名所です。
1876年
上野公園
公園
1923年
文部省臨時国語調査会が常用漢字表を発表。
文部省が初の常用漢字表を制定し、教育現場での漢字使用基準を示しました。
1923年5月9日、文部省臨時国語調査会は正式に『常用漢字表』を発表しました。
表には1,962字の漢字が選定され、教育や公文書での統一基準として示されました。
これにより学校教育で教える漢字の範囲が明確化され、書籍・新聞などの出版にも影響を与えました。
戦後の改定を経て現代まで続く漢字政策の礎を築いた出来事です。
日本語教育と文化の標準化に大きな役割を果たしました。
1923年
文部省
常用漢字
1926年
東京・銀座の松屋デパートで日本初の高層ビルからの飛び降り自殺。
1926年、銀座の松屋デパート高層ビルから飛び降り自殺が発生。日本初のビル飛び降り自殺として社会に衝撃を与えた。
1926年5月9日、東京・銀座の松屋デパートで、日本初とされる高層ビルからの飛び降り自殺事件が発覚した。
当時、近代的な高層建築物が少なかった日本での出来事は大きな関心を集めた。
被害者の身元や動機は当時詳報されず、新聞はセンセーショナルに報じた。
この事件は都市部における自殺問題や社会的不安の象徴として議論を呼んだ。
以後、高層ビルの安全対策や悲劇防止策の必要性が指摘されるようになった。
東京
銀座
松屋デパート
日本
飛び降り自殺
1932年
坂田山心中事件が発覚。
1932年に発覚した坂田山心中事件。山中で発見された心中遺体が世間に大きな衝撃を与えた。
1932年5月9日、坂田山で心中したとみられる遺体が発見され、坂田山心中事件として社会に衝撃を与えた。
被害者の身元や動機は報道によって明らかにされず、心中の背景は謎のまま残った。
メディアはセンセーショナルな見出しで事件を取り上げ、当時の社会道徳や恋愛観に関する議論を呼んだ。
捜査は行われたものの、自殺か他殺かの判断も確定せず、真相は解明されなかった。
この事件は現在も知られざる悲劇の一つとして語り継がれている。
1932年
坂田山心中事件
1945年
ロシア(ソ連)における終戦記念日
5月9日はソ連(ロシア)で第二次世界大戦終戦を祝う「終戦記念日」として制定されている。
1945年5月9日、ソビエト連邦政府は大祖国戦争(独ソ戦)の勝利を公式に宣言し、この日を「終戦記念日」(Victory Day)と定めた。
ドイツが降伏文書に署名したのが5月8日だったが、モスクワ時間では5月9日となるため、ソ連ではこの日を戦勝記念日にしている。
以来、5月9日にはモスクワの赤の広場で盛大な軍事パレードが行われ、退役軍人や市民が戦没者を追悼する。
ロシア連邦成立後もこの伝統は受け継がれ、国家的な祝典として位置づけられている。
この記念日は旧ソ連圏各国でも盛んに祝われ、第二次世界大戦の記憶を継承する重要な機会となっている。
1946年
長野県市田村一家7人殺害事件: 長野県下伊那郡市田村大島山(現:高森町大島山)で一家7人が薪割り斧で殴り殺される事件が発生する。同事件は未解決のまま、事件発生から15年後の1961年5月9日に公訴時効が成立した。
1946年、長野県下伊那郡市田村大島山で市田村一家7人が斧で虐殺される凄惨な事件が発生した。
1946年5月9日、長野県下伊那郡市田村大島山(現・高森町大島山)で一家7人が薪割り斧で殴られ殺害される事件が発覚。
被害者は親子4世代にわたる家族で、現場には争った形跡がほとんどなく、動機や犯人像は謎に包まれた。
捜査は行われたものの、有力な手がかりが得られず未解決のまま推移した。
1961年5月9日に公訴時効が成立し、法的に事件は幕を閉じた。
この事件は戦後の田園地域で起きた未解決の重大犯罪として今も語り継がれている。
長野県市田村一家7人殺害事件
長野県
下伊那郡
市田村
高森町
未解決
1961年
公訴時効
1948年
日比谷公会堂で「母の日大会」開催。1949年以降、日本でも5月第2日曜日が母の日となる。
1948年、日比谷公会堂で初の「母の日大会」が開かれ、翌年以降5月第2日曜が母の日に定着するきっかけとなった。
1948年5月9日、東京・日比谷公会堂で「母の日大会」が開催され、日本初の大規模な母の日行事となった。
この大会では感謝状や花束の贈呈、母親への詩や歌の披露などが行われ、多くの参加者が母への思いを新たにした。
翌1949年には日本でも5月第2日曜日が公式に母の日と定められ、定着していった。
戦後の復興期における家族の絆や感謝の文化醸成に寄与し、現代に至るまで広く祝われる行事となっている。
現在も各地で母の日イベントが開催される原点として重要視されている。
1948年
母の日
1988年
事実婚夫婦、住民票続柄記載差別訴訟を起こす。
1988年5月9日に事実婚の夫婦が住民票の続柄欄の差別的記載を巡り訴訟を提起した。
日本の事実婚夫婦が住民票において「未届」など続柄欄に差別的とされる記載をされているとして、1988年5月9日に住民票続柄記載差別訴訟を起こした。
この訴訟は婚姻の形態と公的記録の在り方を問うもので、当時の行政手続きに大きな議論を呼んだ。
結果として事実婚カップルの権利保障に対する関心が高まり、後の法整備や行政対応の改善に繋がる契機となった。
事実婚